|
不吉な飛行機雲 ―昭和20年8月― ↑ドイツ時代の青島絵葉書。(原山さん提供) 今年もまた8月15日がめぐってきました。 昭和20年、私は13歳。中国在住日本人として、 忘れようとしても忘れられない敗戦の日です。 それは敗戦の数日前のことでした。 私たち電気通信学院の生徒は、 北京市内2区(ぺきんし、うち二く)小乗口胡同の寮から、 西単の学校に向かって2列に並んで歩いていました。 「何だ、あの雲は?」 見上げると、真っ青な北京の空に1条の雲が走っていました。 当時私たちは飛行機雲というものを知りません。 何だ、何だ。 みんなが騒ぎ出し、列が乱れ始めたとき、 誰かのもっともらしい声が聞こえました。 「あれは不吉な雲だ。日本が負けるかもしれないぞ」 日本が負けるかもしれない、という不気味な言葉にみんな一瞬静まり返りました。 しかし、すぐそれを打ち消すような大きな怒声が後ろのほうから上がりました。 「日本が負けるはずがないだろ。誰だ、日本が負けるかもしれないと言ったやつは? 非国民だぞ!」 そうだ、日本が負けるはずがない、とみんな落ち着きを取り戻しましたが、 それよりももっと恐ろしかったことは、 “非国民”という言葉でした。 当時、戦争に協力的でない者には容赦なく“非国民”という言葉が浴びせられたのです。 それは、日本人でありながら日本人社会から排除されるということを意味していました。 まだ成人に達していない少年たちにとって“非国民”という烙印を押されることは 生きる道を絶たれることと同じです。 誰も一言も発せず、ただ黙々と歩き続けました。 それから数日後、校庭で天皇の玉音放送を聞かされましたが、 それがあの“非国民”が予言したとおりの結果だと知ったのは 午後の授業が始まってからでした。 敵地に取り残された格好の私たちにとって 先生の口から発せられる「無条件降伏」という言葉が、 何と頼りなく、無責任に聞こえたことか。 子供心に 「もう大人を頼りにできない。これからは自分自身で生きる道を探さなくては」 と漠然と感じたのです。 ↑ドイツ時代の青島写真。(原山さん提供) 9月、日本人の独身男性は北京西郊に抑留されましたが、 そこに中国語が堪能な一人の若者がいました。 彼は通訳を兼ねて引揚者の面倒を見ていました。今で言うボランティアです。 私はその若者に強く惹かれました。 これからはこういう若者たちの時代なんだ、 他人を「非国民」と罵倒する時代はもう終わったんだ、と実感したのです。 12月9日、とうとう引き揚げ命令が下りました。 私たちを乗せた無蓋貨車は、青島への望郷の思いを残したまま、 北京西郊の引込み線の駅を発車し、 のろのろと北京駅を通過し、天津港に向かいました。 もう後戻りはできません。 もしあの時、私が成人に達していたなら、 あの若者と一緒にみんなの役に立つ仕事をし、 もう一つの道、中国残留の道を選んだかもしれない、 と、今でも時々思い返してみることがあります。
|
全体表示
[ リスト ]





当時、貴方のように考えられる人がいただけでも、救いです。
わたしは故郷に帰らずに横浜です。
狭量な権力闘争や卑屈な拝金主義につかまった先祖崇拝教条主義が嫌いですから、独りで静かに四十台で亡くなった父や百歳を超えて長生きした祖母のことを静かに追悼します。
2010/8/14(土) 午前 10:02 [ ぜん ]
戦争末期 房総半島に敵が上陸してきたら地雷を背負って敵の戦車に飛び込むんだと教師に言われました。「折角生まれて来たのに死にたくない」と言い「非国民」と怒鳴られました。負けていなければ私は進学はおろか、常に監視下で生活をしなければならなかったと思います。
2010/8/14(土) 午後 0:10 [ 相子 ]
ぜんさん、敗戦は私たちにいろいろなことを教えてくれました。どんなに誹謗中傷されようと、私の生き方は決まりました。これからも変わりません。
後世のために少しでもお役に立てればとこつこつと生き続けるのみです。
2010/8/14(土) 午後 0:32
相子さんも”非国民”と怒鳴られた口ですか。しかしよく抵抗しましたね。当たり前のことを言っただけなのに・・・。
あの時代のことを実体験した我々がもっともっと生き延びて、あの時代をよき時代だと思わせようという流れを食い止めなければなりませんね。
2010/8/14(土) 午後 0:44
青島満帆さん、ほんの短い時間しかあなたとお話していませんが、あなたの「心模様」は私なりに理解しています。
まさしく、特筆すべき高邁さであり、少し嫉妬を覚えるくらいです。
日本人は、いいえ、ひろく人間はもう少し賢く誠実になるべきです。
真の強さも、その誠実さや性根の底から出てくるのでしょうね。
暑さ厳しき折、ご自愛のほどを。
2010/8/15(日) 午後 4:02 [ ぜん ]
ぜんさん、いつもながらの褒め過ぎのお言葉ありがとうございます。
私の日本語教室も中学生が3人、高校生が一人増えました。ちょうど敗戦のときの私の年頃の少女たちです。じっくりと教え甲斐があります。楽しくてたまりません。
2010/8/15(日) 午後 4:24
わたしは、無駄にほめたりはしません。
もう、虚言を売って生きる必要も、その気もありませんから、今まで以上に思った通りwがままに生きてやろうとおもっています。
私も塾の経験がありますから、そのわくわくする気持ち分かります。若者を育てる、教育の意味は大きいのですよねぇ。
今日はお盆ですが横浜でいますので何もすることなく一日パソコンをしていました。、、暑い。
2010/8/15(日) 午後 7:21 [ ぜん ]