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郵電博物館の見学 ↑青島郵電博物館の全景。 またまた報告が遅れましたが、 4月4日に地元の歴史研究グループのみなさんに誘われて、 「青島郵電博物館」の見学に行きました。 日本で言えば「逓信博物館(千代田区大手町)」に当りますが、 古い資料や写真も展示されているという話でした。 場所はドイツ統治時代に建てられた青島郵便局跡で、 日本統治時代は郵便局、その後は青島電報電話局だったところです。 長い間電信畑を歩いてきた私にとっては因縁浅からぬ懐かしい場所です。 案内してくれた皆さんは私のために車椅子まで用意してくれ、 館長さん直々に詳しく説明していただきました。 ↑内部の展示物コーナーには懐かしいモールス電信機が。 古い電話機や電話交換台の展示物を見ながら歩いていると、 「先生、ここにモールス電信機がありますよ」 と連れて行かれたところに真新しい「トン、ツー」の電鍵が置かれ、 モールス符号を叩くと文字に解読されて表示されるという 分かりやすい仕組みになっています。 試しに「トトトツート」と叩くと TKS(サンクス)と翻訳されました。 かつては情報伝達手段の花形だった有線電信は、 1分間100字から120字というオペレーターの高度な技術で、 モールス通信の一時代を築いたのです。 私も小学校高等科1年を終了するとすぐ 華北電電電気通信学院(北京)に入学し、 敗戦を経て高崎逓信講習所に再入学、 長い間トン、ツーの世界に身を置くことになりました。 ↑古い電話機も展示されています。 今やIТの時代。 この郵電博物館が どれだけ今の人たちの関心を捉えることが出来るかわかりませんが、 私にとってはまさに昭和の時代にタイムスリップしたような、 うれしくも楽しいひとときでした。 案内していただいた有志の皆さんには、 お昼ご飯までご馳走になり、 ほんとうにありがとうございました。 ↑隅々まで詳しく案内してくれた館の人たち。 |
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トトツウトトツ^−。
確かに通信のことをそう呼びました。
とりわけ、私は瀬戸内に生まれましたから粟島海員学校や詫間電波の専門学校もあり慣れ親しんだ呼び方です。
友人の何人かも船乗りになるためにそういう学校へ行きましたが、私は音楽、リズム感が全くないからきっとだめだったでしょう。
2011/6/1(水) 午前 0:54 [ ぜ ]
直大さん、あの年頃で覚えたトンツーは一生忘れないものですね。トトトツートは終わりマークですが、有線の場合、電鍵の調整のときにも使いますから、座席に着いたら先ずトトトツートと叩いて電鍵のバネの強さや接点の間隔の調整をします。有線の場合は(カチカチと言う音響器)かなり高速ですからオペレーターは電鍵のバネの強さなどにとても神経質でした。
青島郵便局の本局は市場通りに造られましたが、電報電話局は湖南路にあり、ドイツが最初に建てた郵便局はこちらになります。
2011/6/1(水) 午前 7:42
「トトトツート」TKSと云う意味だったのですね。モールス信号で文章を送ったとき、最後に打つ信号ですよね。最後の「サンキュー」意味が良くわかりました。直大さんと同じく私も海洋少年団でモースル信号の符号や手旗信号をいやというほど覚えさせられました。今でもよく覚えておりますよ。ーー・−− −−・ ・−・・ ・・ ・・−・・ ・・− (ありがとう)。
2011/6/1(水) 午前 7:48 [ ターチャン ]
ぜさん、漁業無線ではつい最近までモールス通信をやっていましたね。船乗りにとっては必修のモールス符号でした。
有線の場合、一人前に仕事が出来る人はごくわずかで、大半の人が「手くずれ」という神経の障害を抱えて一線から退き、他の仕事に移ったり、暇な回線で仕事をしていました。大変な仕事でした。
2011/6/1(水) 午前 8:04
ターチャン、海洋少年団で覚えたモールスお見事です。有線と無線では挨拶の符号など多少違っていたようです。有線では国内だけで使う符号がいくつかありました。
戦後の復興に伴いモールス通信は印刷電信機が導入されて廃止され、カナタイプを叩く毎日でした。
さらに電話が普及すると電報そのものが一気に斜陽産業になり、社会から忘れ去られていきました。
トンツーの時代は昭和の時代そのものです。
2011/6/1(水) 午前 8:59
モールス電信機は子どもの頃の遊び道具でした。「羊会」の皆様と一回り
下ですので、モールス信号は覚えていませんが。 トン・ツーと打っていました。 郵電博物館は湖南路にあるのですか? もしそうなら家内の生家の近くです。 次回の青島訪問(何時になるかな)の時は見に行きたいです。 その時は宜しくお願い致します。
2011/6/1(水) 午前 11:42 [ アメ・ハラ ]
アメハラさん、今度おいでになるときは郵電博物館にご案内します。すぐ目と鼻の先です。
昔の人なら「アスツク、ムカヘタノム」という電報は一度はお世話になったはずです。
2011/6/1(水) 午後 8:27
青島満帆様
その時は宜しくお願い致します。
古き、よき時代? 昭和を思い出させる 電報文を
有難うございます。
2011/6/2(木) 午前 9:33 [ アメ・ハラ ]
たびたび拝見させていただいております。
数年来戦前の在華(支)日本人社会の「教育」に焦点を当てて研究を行っております。いえ、「邦人教育機関」の盛衰を通して当時の日中関係の考察を行おうとしていると言った方が適切でしょうか。
ただし終戦時小学校だけでも満州を除いて200余校。網羅的な研究はとても一人の手には負えません。領事館から霞が関への年次報告や学校長会関係の史料を見ますに、やはり青島は居留民が多く学校も大規模であっただけに史料も豊富です。
天津等のように現地に史料が残されているかどうかは存じませんが、来春是非青島を訪れたいと今から計画中です。
2011/6/5(日) 午後 4:19 [ flo*tin*36 ]
ご無沙汰いたしております。お元気ですか?
天津でお世話になりました埼玉の「まみ」でございます。世間で「アラフォー」と呼ばれる歳となりました。長らく連絡せずに申し訳ありません。
今、大学の通信教育課程の史学科に在籍し主に中国や日本の近代について学んでいますが、自分の知識のなさに呆れる思いです(汗)こちらの記事は「史料」を読むようで、とても参考になり楽しいです。
以前掲載された天津の絵葉書を拝見し、あの2年間ただ遊んでたことにならないよう(?)卒論は天津をテーマにしようと決めました。まだ決めただけですが、いろいろ調べていこうと思います。
大手町の逓信博物館行ってみたいです!
2011/6/11(土) 午後 1:10 [ mamisuke ]
ご無沙汰しております。青島でお世話になった山本です。
今年の8月から一年間、そちらに伺います。
モールスは高校生の時アマチュア無線をやっていて、多少やったことを思い出しました。でも今ではトトトツーツーツートトト(SOS)しか覚えておりません。難しくって途中で投げ出したことを思い出します(苦笑
2011/6/13(月) 午前 11:01 [ iss**_yama*oto ]
お写真を拝見出来てうれしかったです。
トンツー=モールス信号、三級アマチュア無線受験に一時期誘われて覚えようとしましたが、受験するのが男子ばかりだったので、やめた記憶が有ります。
もう、全部忘れましたけど。
^^;
2011/6/15(水) 午後 4:59
皆様、お元気ですか。
青島満帆様は、お元気です。
何らかの原因でブログの更新が出来ないようです。
直り次第更新してくださいます。見ることはできるそうです。
青島、風が強いそうです。
投稿やメールのできる方は青島満帆様に、お願い致します。
米国の南カリフォルニアは今年は天候不住で、まだ夏が
来ていませんが・・・そのうち猛暑になるでしょう。
日本は梅雨に入りますね、お元気で。
2011/6/17(金) 午前 7:32 [ アメ・ハラ ]
アメ・ハラさん、有難うございます。
青島満帆さまには、お元気で長生きしてくださるようにお祈りしています。
2011/6/18(土) 午後 7:52
青島満帆です。みなさんありがとうございます。
突然、ブログが直ったようです。
これからまた書きますので応援お願いします。
2011/6/21(火) 午後 4:31
mamisukeさん、しばらくでした。
天津時代のこと懐かしく思い出します。
歴史の勉強をされているとのこと。青島のことなら何でも聞いてください。
突然のブログの回復であわてています。とりあえずコメントのお礼にて失礼します。これからよろしく応援ください。
2011/6/21(火) 午後 4:43
ブログが回復してよかったですね。これで万帆さんも安心ですね。
原因は何だったのでしょう?・・・・・次回を楽しみにしています。加油!加油!
2011/6/22(水) 午前 7:48 [ ターチャン ]
これぞ本当の日中親善、今後盛んにやってもらいたいものです。我々の時代はいろいろスポーツはあったと思いますが、日本人どうしの学校の対抗試合的なもしかありませんでした。中国人学校との交流親善競技等は全く考えもしなかったことでしょう。ただ親善といえるかどうか分かりませんが近所に住んでいた中国人の同じ子供達とその頃はやっていたビー玉の取り合い遊びに興じてお互い争って戦ったことがありました。中国人の子供達は皆上手で殆どビー玉は取られ、我々は完敗続きだったこと、悔しかったけれど、今思えば子供どうしの付き合いはこの程度でした。親善競技?と云えるかどうか疑問ですが、今当時のことをふと思い出していたところです。
2011/6/22(水) 午後 2:15 [ ターチャン ]
floatingさん、ご返事が遅れました。戦前の在中国の教育について研究しておられるとのこと。敬意を表します。
戦前の青島の資料は戦後天津に集中したのではないでしょうか。青島に残っているのは少ないような気がします。研究成果を楽しみにしております。よろしくご教示ください。
2011/6/22(水) 午後 5:23
いいやり取りです、こう言うんのが、ねぇ。
2016/2/14(日) 午前 5:06 [ zen*o*hara6* ]