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光畑京子の「終戦日記」(最終回)女学校が焼けた
光畑京子の「終戦日記」
[ zen*o*hara6* ]
2016/3/21(月) 午前 11:09
太平角一路と栄城路の家
日本人が住んでいた家
[ zen*o*hara6* ]
2016/3/16(水) 午後 5:46
年を取ると、今までの経験や知識を独り占めにして金儲け、自分の欲に本気で生き始める人と、そうで半無くて若い人、次のリーダーを育て始める人、この二手に分かれます。
わたしはで小さな塾をして多くの若い人と一緒にに英語を勉強しました。
次は中国だと思い、中国語を始めてもう二十年がたちます。
その間京都で政治の中mを作り新しい次のリーダーを育てたり、横浜で新しい文化、演劇と建築のコラボを試みました。
名古屋では、歴史の研究会のようなもの中で、案外に、名古屋が保守的で、退屈な場所だと気が付き、ここからは撤退することにしました。
そして再び中国です。
青島で古いの知り合いや、新しい青島大学、海洋、農業大学を中心い人集めをしています。
信用できないとか経済が悪いか
時間がない、生きている間にお、頭は使わねばなrません。一党独裁とか,、、いろいろ言いますが、かまっていられません。
林の中の旅館”あかしや荘”跡
日本のホテル跡
[ zen*o*hara6* ]
2016/3/13(日) 午後 3:22
ジャカランダのその後
生活日記
[ zen*o*hara6* ]
2016/3/1(火) 午後 10:17
平安2小(もと四方日本小学校)訪問
生活日記
[ zen*o*hara6* ]
2016/2/28(日) 午前 7:26
大森貞郎氏旧宅探訪
日本人が住んでいた家
[ zen*o*hara6* ]
2016/2/25(木) 午後 6:42
蓮の葉で包んだ粽同じものを初めて足立さんのマンションを訪れた時にも置いてありました。
足を怪我をされておりましたが、窓から体を乗り出して、ここだここだ、と手を振って迎えてくれました。
初めてだと言うのに妙に気が合いました。
わたしの泊まっていたホテルにも,由さんと一緒に訪ねてくれました。
王朝ホテルには、女性の方で中国人を自分の子供同然いやさしくいつくしんで食事をしている方とも偶然にお会いし、またその後日本人会事務所でもあうと言う奇遇な経験をしました。
二十五中学のバス停のあったマンションを引っ越すときは、一緒に住まないか、費用の分担内訳ははいくらいくら,、とまで誘てtくれました。
寡黙であまり家族のことは話さない人でしたが、,天津の思いで話と一緒に息子さんや奥さんの話もしてくださいました。
きっと、私の向こう見ず、一本気なやんちゃな性格にすぐに感づいたのかも知れません。
あの時、と思います、
しかし、ああすればこうすれば、あの時、と思うのは人生の常でしょう。
近い機会に、青島に行きましたら、一人でもう一度あの時を歩いてみようと思って
平安2小(もと四方日本小学校)訪問
生活日記
[ zen*o*hara6* ]
2016/1/29(金) 午後 5:16




