青島満帆

戦争は、勝った側も負けた側もこんな馬鹿馬鹿しいことはない」黄瀛

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

ディーデリッヒ記念碑について





写真1は、ディーデリッヒ記念碑の完成セレモニーでしょうか。
  記念碑を前にドイツ兵士が並んでいます。

写真2は、信号山の遠景。左のあたりにディーデリッヒ記念碑が見えます。

写真3は、時計台の向こうに信号山があり、
  左下にディーデリッヒ記念碑が確認できます。





先日の「発見!ディーデリッヒ記念碑」の記事について、

yosiheiさんよりコメントをいただきました。

    ◇  ◇  ◇  ◇

「中国青島の歴史探訪」というサイトに次のような資料が出ています。

「ディーデリヒ記念碑(青島占領記念碑)関連資料

作成者名称 秋山雅之介

資料作成年月日 大正09年12月22日(1920年)

記念碑撤去ニツキ外人ノ所感

青島神尾山麓ニ建テル占領記念碑ハ今回日支親善上撤去スル事トナリタルカ

本件ニ就キ外人ノ感想ヲ見ルニ独逸人等ハ一般ニ賛成ナルモノニシテ

其理由ハ即チ日独ハ交戦セシモ相互ノ感情ハ決シテ害サレ居ラス

特ニ戦後ニ於テハ一層親密ナラントシツツアリ

斯カル際ナレハ彼ノ記念碑撤去ハ大ニ歓迎スヘキ企テナリトスルモノナリ・・・」

この文を読むと1920年頃に撤去されたように読めますが、

結局いつまであったのかがよくわかりません。

「1937年、日中戦争が始まり、日本軍が青島を撤退する際、

この記念碑を爆破したといわています。」

とのことですが、破壊したのは1945年ということでしょうか。

時間差がだいぶありますので、確認していただければありがたいです。

    ◇  ◇  ◇  ◇

以上ちょっと長くなりましたが

ディーデリッヒ記念碑についてはあまり知られていませんので、

全文をご覧いただきました。


アメリカ在住の原山さんから送っていただいた古いドイツの写真を更に調べてみますと、

ディーデリッヒ記念碑が写っている写真がかなりありました。


ドイツ占領時代はこの記念碑を中心に記念撮影をしていた、

といっても過言ではないほど姿を現しています。






これほど目立つ記念碑を、

当時の日本軍部は苦々しく思っていたことは想像に難くありません。


青島中学第4回生(大正13年、1924年卒業)斉藤昌司氏は、

「通学生は市街地から時計台の下の左手の崖に

ドイツ人の作った双頭の鷲の壁面彫刻を見ながら

先生の宿舎を左に見て魚山路のアカシアの疎林、

そして山道をたどって旭練兵場、

それを横切って校舎背面のだらだら坂にと、相当きつい距離だった。」

(青島日本中学校校史)

と書いています。






つまり、ディーデリッヒ記念碑は1924年までは確かに存在していましたが、

それ以後の記録はばったり途絶えてしまいました。


※私は

(青島で発行された「青島写真帳」にも写っていました。

その写真帳は昭和8年版となっています)

と書きましたが、これは私の勘違いでした。

お詫びして訂正いたします。


いつごろ撤去、あるいは爆破されたのかを推理するとすれば、

やはり、在留邦人に総引き揚げが勧告され、

一般人が不在になった隙を見て軍部が撤去した、

とみるのが妥当なところでしょう。


また、鷲の彫刻の部分だけは切り取って持ち帰った、

という説は、

当時の軍部の中に

あの彫刻に芸術的な興味を抱いた人物がいたとは思えませんし、

破壊して廃棄したと見るのが自然でしょう。


この件に関して情報をお寄せください。



 

大森貞郎氏旧宅探訪

大森貞郎氏旧宅探訪



イメージ 1

↑大森氏の旧宅は破壊される寸前でした。
この辺り一帯は黄島開発区に向かう道路になるそうで、
取り壊し工事が進んでいます。



先般東京で行われた羊会の同窓会で、

M田さんが大森氏に、

「昔住んでいた濰県路の家がどうなっているか見てきて欲しい」

と頼まれたそうで、

私たちはモルトケ兵営の写真を撮りに行った帰りに、

濰県路に寄ってみました。

場所は膠州路から市場3路に抜ける道で、

1995年に青島で行われた同窓会のとき、

私も一度見に行ったことがあります。

この辺り一帯も取り壊し工事の最中で、

かつては高級アパートだったと思われる瀟洒な建物も、

崩壊寸前でした。

まだ辛うじて残っている建物を見て、

私たちは顔を見合わせ、

「間に合ったね」

と、胸を撫で下ろしました。


イメージ 2

↑このアパートの3階の部屋から
   毎日、膠州湾の出船入船を眺めていたそうです。



大森氏はこの3階の部屋から膠州湾を行き交う客船や貨物船を

毎日眺めていたと聞いています。

大森氏と私は少年時代浅からぬ因縁があります。

小学校低学年時代は青島神社近くに住んでいて家も近く、

姉同士が同級生ということもあって、

何度か遊びに行ったこともあります。

背が高い少年でしたが私と同じ運動神経のほうはまるでだめで、

中学入試の千メートル走では二人でビリ争いを演じ、

仲良く落第した思い出があります。


あれから幾星霜、それぞれ進んだ道は違いますが

変わり行く青島の街並みを前にして、

ただただ歴史の無常を感じるのでした。



イメージ 3

    ↑6月16日は端午の節句。
     手作り粽をたくさんいただきました。
発見!ディーデリッヒ記念碑



先日、アメリカ在住の原山氏から

ドイツ租借時代の青島の写真を送っていただきました。

その中に何の変哲もない信号山の写真がありました。

しかしよく見ると、山の中腹に白いものが見えます。

もしやディーデリッヒ記念碑ではないか、と思って拡大を試みましたが、

私のパソコンでは規格が合わないのか大きくすることができません。

そこで相子さんに送って日本で開いてもらうことにしました。


そしてついに発見!

あの白いものは、私の思ったとおり、

まさしくディーデリッヒ記念碑に間違いありません。

まだドイツ総督官邸(現迎賓館)も建っていない索漠とした岩山に、

ディーデリッヒ記念碑だけが、

誇らしく未開発の青島を見下ろしているのです。

イメージ 1

↑相子さんに開いてもらったドイツ租借時代の写真の1枚。
写真中央のやや左に白いものが見えます。
これぞディーデリッヒ記念碑です。





ディーデリッヒという人は1897年から1898年まで、

当時世界最強といわれたドイツ東洋艦隊の司令官でした。

ドイツ皇帝の極秘命令を受けたディーデリッヒは、

1897年11月13日、

艦隊3隻を率いて膠州湾沖に姿を現し、

「乗組員を休ませたいから」と偽って上陸させ、

そのあと清国守備隊を脅して青島を無血占領しました。


青島占領を記念してディーデリッヒ山(現信号山)中腹の岩に、

鷲の模様の彫刻と、ドイツ、中国両国語の銘文を刻み、

ドイツ帝国の威容を天下に示しました。

それがディーデリッヒ記念碑といわれるものです。

イメージ 2

↑これがディーデリッヒ記念碑。相子さん提供。




時が経ち、青島の権益は日本が受け継ぎましたが、

1937年、日中戦争が始まり、

日本軍が青島を撤退する際、

この記念碑を爆破したといわています。


その後、この記念碑の行方は杳としてわからなかったのですが、

数年前、青島の民間歴史研究グループによってその破片が発見され、

大きな話題になりました。


しかし、この記念碑が信号山のどの辺りにあったのか、

今や誰も知る人はいません。

今回、ドイツ占領時代の古い写真の中から、

ディーデリッヒ記念碑の1枚を発見し得たことは、

青島の歴史研究に大いに役立つものと思います。

アメリカ在住の原山さん、ありがとうございました。


イメージ 3

↑ディーデリッヒ記念碑の写真発見を祝して、
ささやかながら(?)牛丼をいただきました。
青島多田屋の牛丼。

再びモルトケ兵営跡へ

再びモルトケ兵営跡へ


イメージ 1

↑モルトケ兵営跡1

イメージ 2

↑モルトケ兵営跡2




先日、M田さんの車でモルトケ兵営の探索に出かけました。

黙って(見つからないように)写真を撮ってきましたので、

みなさんも黙ってご覧ください。


モルトケ兵営は、日本時代は若鶴兵営と呼ばれ、

日本海軍の兵舎として利用されました。

場所が青島神社の裏側にあったためか、

若鶴兵営、若鶴バラックについての情報が極端に少なく、

写真も見つかりません。

イメージ 3

↑モルトケ兵営跡3

イメージ 4

↑モルトケ兵営跡4




先日、Yosiheiさんから、


「若鶴バラックの跡地に第3国民学校が建てられたのではないか」


という情報が寄せられました。

古地図を見ると確かに位置が一致します。

しかし、この情報すらも真偽を確かめるすべがないのが実情です。

皆さんからの情報をお待ちしています。
解体が始まった吉林路界隈




イメージ 1

   ↑すっかり空き家になった古い住宅。

イメージ 2

   ↑滅び行くものには哀感があります。




古い住宅が立ち並ぶ吉林路の解体が始まりました。

中国の解体工事はゆっくりゆっくり時間をかけて行われます。

日本のようにブルドーザーで一気に撤去、

というわけではありません。

少ない人数で少しずつ解体していきます。

工事につきものの騒音もなく、静かに進行しています。

イメージ 3

   ↑解体寸前の吉林路。

イメージ 4

   ↑吉林路の「里院」内部。




騒音が大きければ再度引越しを考えなければ、

と思っていましたが、杞憂に終わりそうです。

解体された後にどんな街が出現するのでしょうか。

高層マンションの林立ではなく、

落ち着いた、風情のある町並みの完成を願うのみです。

イメージ 5

   ↑住人もいなくなって寂しくなった狭い路地。

.
bad**uan1*3
bad**uan1*3
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

最新の画像つき記事一覧

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事