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青島にもやっと春の訪れ 今年の冬の青島は、 天候不順で寒い日が続きました。 桜の開花も遅れに遅れて4月25日ごろようやく開花。 毎年中山公園に花見に行く私も今年は行きそびれてしまいました。 ↑貯水山公園入り口。旧青島神社の大鳥居がここにあった。 ↑昔は百十一段あった階段。この階段の上に青島神社の社があった。 長い冬が終わり、冷たい風も収まって、 やっと春の訪れを感じるようになりました。 早速、コートを脱いで貯水山公園に散歩です。 この公園に桜はありませんが、花という花がいっせいに咲き出しました。 ↑階段の両側に白い花がいっせいに咲きほころんだ。 ↑階段は日当たりがよく、市民の憩いの場になっている。 公園広場の左側方向の児童公園は工事が始まって通れませんが、 完成図の大きな看板が並んでいています。 それを見ると、豪華な通路や運動公園もあって、 楽しい児童公園に生まれ変わるようです。 ここは、かつて青島神社として日本人に親しまれてきた公園です。 どんな公園が誕生するのか完成が待ち遠しいですね。 ↑階段下の広場。左側の児童公園では改装工事が始まっている。 |
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青島日本人学校の教室 前回、日本人学校の教室で学ぶ子供たちを紹介しましたが、 今回はそのほかの、まだ真新しい教室をご紹介しましょう。 ↑上の写真が青島日本人学校自慢の武道場です。 中学生たちがこの畳の部屋で柔道の稽古をします。 柔道の指導に当たるのは、 オリンピック金メダリスト、世界選手権3連覇の山下泰裕さんです。 この道場で青島の子供たちが山下8段の闘魂を受け継いでいくのです。 ↑次は工作室です。 日本人得意の“ものづくり”がこの教室で培われていきます。 中国の学校にはない日本独特の教室です。 ↑そしてここがコンピューター教室です。 IT時代にふさわしく、新型のコンピューターが並んでいます。 この教室で、時代の先端を行く技術を学べる子供たちは幸せです。 ↑こんなに広い多目的室もあります。 写真では卓球台が並んでいますが、 視聴覚教育の設備も整っています。 何から何まで内地の学校に負けない広々とした教室と設備で、 子供たちはのびのびと学んでいます。 外地で働くことに躊躇されているご両親も どうぞ安心して青島においでください。 ↑青島日本人学校の会議室で 「青島小唄」を披露している青島高女OBのお嬢様たち。 |
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青島日本人学校の子供たち ↑音楽の時間。音楽室にはグランドピアノはもちろん、 各種楽器も揃っています。 4月19日から24日まで、 日本から青島各同窓会グループ総勢10名の方がいらっしゃいました。 その第一報として、 21日に青島日本人学校を訪れ、 学校見学と授業参観で癒しのときを過ごされた模様をお届けします。 子供たちはしっかりと挨拶ができ、 元気よくみなさんをお迎えしました。 熱心な先生方と立派な施設という環境に恵まれ、 内地の子供たちより生き生きと感じられました。 ↑国語の時間。 今回の訪問団のお一人は1年生と2年生に 読み聞かせのボランティア授業を行いました。 ↑図書室で。予算が足りなくて、図書の数はまだ少ないそうです。 ↑料理の時間。設備も充実してみんな楽しそうです。 全校生徒の数はまだ95名。 順調な学校経営まではちょっと足りないそうです。 ↑講堂で昔の小学生が記念撮影。こちらもうれしそうです。 |
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モルトケ兵営の写真 先日、米村さんから1枚の写真が送られてきました(写真A)。 説明文には「青島学院の朝礼風景か」と書いてありましたが、 建物と運動場の広さ、背景の山の形から、 この写真はドイツの兵営跡だろうと見当をつけました。 人数、服装から見て、青島中学と青島学院の合同軍事教練か、 本物の日本陸軍の軍事演習かのどちらかでしょう。 ↑写真A。米村氏から送られた朝礼風景?の写真。 青島にはドイツの兵営跡が3箇所あります。 イルチス兵営、ビスマルク兵営、モルトケ兵営です。 イルチス兵営跡は青島日本中学の最初の校舎として利用され、 その後日本陸軍兵舎、現在は中国海軍の施設として現存しています。 ビスマルク兵営も山東大学、日本海軍陸戦隊根拠地となり、 現在は海洋大学の建物として使われています。 モルトケ兵営だけは写真も少なく、 貯水山(ドイツ名モルトケ山)の近くにあるということはわかっていますが、 私も実はまだ見たことがありません。 ↑モルトケ兵営。日独戦争勝利記念。中央が神尾中将。 ↑モルトケバラック。同降伏調印式はここで行われた。 このAの写真の背景の山は高さから考えると貯水山ではないかと想像して、 中国人の方にも鑑定してもらいましたがはっきりしません。 そこで、今回米村さんが来青されたのを機に、 モルトケ兵営跡を探しに行くことにしました。 Y君に車を運転してもらって、 やっと探し当てた写真がこれです。 ↑最近撮ったモルトケ兵営跡の写真。 ↑同上モルトケバラック跡。 高層ビルに囲まれてもはや背景の山を見ることはできません。 しかし、Aの写真の建物はまさしくモルトケ兵営に間違いありません。 地図を見ると、モルトケ兵営と呼ばれているとは言え、 モルトケ山よりもイルチス山寄りにあることがわかります。 従って背景の山はイルチス山(現太平山)の北側の麓と確信しました。 足が丈夫になりましたら もう一度モルトケ兵営跡の写真を撮りに行きたいと思います。 それまでもう少しお待ちください。
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青島学院創立者の親族を迎えて
↑青島学院創立者の子孫を迎えて卒業生の歓迎会。
司会するのは牟さん、91歳。4月3日から3日間、 青島学院関係の資料を携えて米村氏が来青されました。 氏は青島学院創立者・吉利平次郎氏の兄方の子孫に当たり、 教育者吉利平次郎の研究に取り組んでおられます。 米村氏の来青を歓迎して青島在住の青島学院卒業生たちが集いました。 卒業生といっても齢はすでに80代後半から90歳台ですが、 みなさん元気いっぱい。 熱河路の某レストランで ペキンダッグをいただきながら学院時代を偲びました。 別れ際には青島学院の校歌を熱唱、 レストランの中は老人パワーの熱気に包まれました。
↑青島学院卒業生一同の校歌合唱。歌声は青島市内にこだました。
今年91歳になる牟さんは、青島学院卒業後日本に留学、明治大学を卒業されました。 在学中は得意の短距離走で各種陸上大会に出場し、 昭和15年、東京市陸上選手権大会で4等賞を獲得しました。 名前の載った陸上競技の雑誌を大事にとっておいたのですが、 それを紛失してしまったのが何としても残念です、と語っていました。 わが羊会のメンバーで明治大学の職員だった相子さんに このことをお話しすると、 早速明治大学に問い合わせていただきました。 牟さんは、昭和18年3月、明治大学商科専門部の卒業生として、 名簿に記録されていることがわかりました。 明治大学の交友会名簿には「住所不明」と書かれてあったそうですが、 これからは校友会からの連絡が牟さんの元へ届けられることでしょう。
↑青島学院の語学検定証。
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