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魯迅の小説「藤本先生」の中で、藤本先生がしきりに纏足の足指がどんな風になっているのか、知りたがっているくだりがある。
私は纏足の生足を見たことがある。
Mさんのお母さんも見たことがあるそうで、Mさんのメールにはこう書いてある。
「我が家のアマは、夏は夜になると、その纏足になった足が水虫になっているので洗っていました。
私は見たことはありませんが、母によるとその指はつぶされ、蟹の足の先端のようにぺちゃんこになっていると話しておりました。
という事で私は渡り蟹を食べるとき、必ずその話を思い出します。」
アマというのは、中国人のお手伝いさんのことで、日本人はそう呼んでいた。
私が見たのも、アマの生足である。
当時女学生だった姉が、アマにせがんで見せてもらったのである。
私もそばでこわごわ見ていると、アマは足に巻いた布をぐるぐるとほどいていった。
最後に出てきたのは小さな足であった。
親指のほうにほかの指が無理やり寄せられ、そのまま成長が止まっていた。
Mさんのお母さんの、「蟹の足の先端のよう」という表現は見事である。
これに勝る表現はない。
なにしろ、三歳のころから綿の布を包帯のようにぐるぐる巻いて、足指の成長を止めるのだから残酷な奇習というほかない。
Mさんのメールは続く。
「私の記憶では、あの纏足を縛る綿の細帯を、高い棹に横木を渡してそれに何十本も掛けて売りに来たのを思い出します。
あんな事で食べていく事が出来たというのは、やはり貧しかったのでしょうね。
纏足を縛る布を(中国人の)先生に聞きました。日本の字ではない、衣をナベブタと下の字に分け間に果をいれた字に脚布と言うのだそうです。
包脚布とか纏(簡体字はチョッと違いますね)脚布とも言うそうですが、普通一番使うのは、さきの難しい字が使われるそうです。」
私が纏足の生足を見たのは十代のときだから、1940年代だ。
そのころはもう纏足は廃れていたが、まだ40歳以上の女性のほとんどは纏足だった。
まれに二十代の女性が纏足で歩いているのを見かけたことがあるが、例外だった。
明、清の時代は纏足が結婚の条件だった。
嫁いだ女性が男から逃げられないようにするため、というのが一般的な説だ。
当時の漢族の男性は、小さな足に性的な魅力を感じていたという。
それ故、女性のほうは人前で生足を晒すことを恥じた。
纏足の女性が歩くとき、かかとだけで歩くから、腰をくねくね動かして歩く。
それがまた魅力的だったのかもしれない。
清の皇帝は何度か「纏足禁止」のおふれを出したが、纏足が結婚の条件となれば、なかなかやめるわけにはいかない。
満族皇帝が出したおふれは、漢族の民衆によっていつも無視された。
纏足が結婚の条件とはいえ、このような残酷な奇習がなぜかくも長く続いたのか。
Mさんからのメールに、思わぬ説が書かれていた。
「昨日、柏の高島屋で偶然、翻訳をやっている昔の中国語仲間と会い、立ち話をしました。
纏足が想像以上になぜ長く続いていたかという話になり、あれは単に男性から逃げないようにという為ではなく、もっと性的な魅力があってのこと。
それは纏足を縛る紐を解いた時の匂いが大きい。
と言う事で、最近本当に薄い本ですがその事が書いてある本を見つけたので、皆が読みたがっているという事でした。」
足の「匂い」のために、纏足の奇習が長く続いたとは、面白い説だ。
匂いに対する感じ方にも歴史があるのかも知れない。
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