青島満帆

戦争は、勝った側も負けた側もこんな馬鹿馬鹿しいことはない」黄瀛

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第一海水浴場の地下道を潜ると地下街がある。
レストランや映画館がある。
地下街を抜けて地上に上がると、そこは匯泉広場である。
広い。
広いはずだ、昔、競馬場だったところだ。

旧ドイツ帝国は膠州湾を手に入れると、多大の投資をして港湾を建設。
青島をドイツ東洋艦隊の母港にした。
東洋艦隊の兵士とその家族を慰労するために、競馬場を建設した。
春と秋に競馬が開催され、シーズン以外はサッカーやポロなどのスポーツが行われた。
サッカーは、イギリス軍兵士との親善試合が毎週行われ、兵士たちは熱中した。

日本統治下になっても競馬は開催されていたそうである。

―Mさんからのメール―
「あの公園(現・中山公園)で昆虫採集が済むと、競馬場のスタンドの横の芝生に座り、よくレースを眺めながら休み、それから一号バスで帰宅しました。競馬の無い日はバスが競馬場を突っ切り、競馬のある日は迂回して第一公園(現・中山公園)に行きます。とても思い出の多い地区です。」

Mさんのように行動範囲が広くなかった私は、競馬が行われていたことは知らない。
海水浴場と競馬場の間に細長い雑木林があり、海水浴に行っても、雑木林で蝉取りをしても、競馬場まで入り込むことはなかった。

中学生になると、この競馬場でグライダー訓練が始まった。

『青島日本中学校校史』によると、1942年の春、滑空班が誕生してグライダー訓練が始まり、その年の秋には、部員全員が三級滑空士の資格をとった、とある。

私は青島中学ではなかったが、やはりグライダー訓練があった。

グライダーの一番前に操縦席があり、主翼が機体の上についている。
プライマリーという初級用の練習機である。

主翼が傾かないように、一人が手で持って支える。
機体の先端にゴムのロープを掛け、生徒が十人ぐらいずつ二手に分かれてロープを持つ。
機体の後ろの地面に杭が出ていて、生徒の一人が機体後部に付いているロープを、その杭にからませて機体が飛び出すのを防ぐ。

教官が「引けー」と号令を掛けると、二手に分かれた生徒が、
「いち、に、いち、に」
と声を揃えて、ロープをV字型に引っ張って行くのである。

頃を見計らって、教官が、
「離せー」
と号令を掛ける。
後ろでロープを持った生徒が、杭から素早く外す。

グライダーは地上を、ず、ずーっと滑走して止まる。

まだ初心者だから地上を滑走するだけである。
飛び上がってはいけない。

何度目かの訓練のときである。

先輩が操縦席に座り、体の大きい生徒が選ばれて、
「いち、に、いち、に」
と、ロープを引いた。

教官が「離せー」と号令を掛けた。

その途端、グライダーはふわりと空中に舞い上がった。

教官が泡を食って飛び出した。

「やめろー、やめろー。降ろせー、降ろせー」

何やら訳のわからないことを絶叫しながら、必死にグライダーを追った。

だが心配するほどのこともなく、グライダーはすぐ失速して頭から墜落した。

禁を犯して空中に飛び上がった先輩は、悪びれる風もなく、かえって「してやったり」という顔をして、操縦席から降りてきた。
教官も、生徒の無事な姿を見て怒ることもできず、ただ唖然とするばかりであった。

グライダー訓練はそのまま中止となり、以後、競馬場に行くことはなかった。

あれから60年が経った。

日本からやってきた先輩のKさん(青島中学出身)と昔話をしていると、Kさんも同じような体験をしたことがわかった。

Kさんが操縦席に向かおうとすると、悪い先輩が近づいて、
「ちょっとだけ操縦桿を引くんだぞ、いいな」
と、耳打ちした。

Kさんがその通りにすると、グライダーは思いっきり飛び上がったそうである。

中学生の冒険好きは、いつの世も同じだ。
                   (2005年11月)

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