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ショートル市場がどこにあったのか、
早速、T君がお父さんに聞いてきてくれた。
地図を広げてT君が指差したところは、青島駅の東側方面だった。
やはり台西鎮だ。小港にも近い。
因みに、今の青島人は台西鎮のことを「西鎮」と呼び、
台東鎮のことを「台東」呼んでいる。
「食肉処理場があった辺りだね」
「そうです。そうです」
「よし、わかった。ありがとう」
食肉処理場が今も残っているかどうかわからない。
食肉処理場というのは、一般的には「屠殺場」とも呼ばれていたようだ。
写真集「青島の今と昔」(青島日本中学校鳳雛会発行)によると、
「青島宰畜公司、1923年改築。屠獣場1906年竣工(ドイツ)」
とある。
旧ドイツは、青島に食肉処理場を建設して産業の開発につとめた。
当時の衛生状態から、衛生的な食肉処理場の建設が必要だったのだろう。
写真を見ると、建物の前が広い空き地になっているのが見える。
場所は観城路だ。
青島駅の東側に行ってみることにした。
春節の休みの間、日本に一時帰国して戻ってくると、青島は暖かい日が続いていた。
観城路はすぐ見つかった。
古いアパート群の間を海岸に向かって歩いていると、
写真で見た「食肉処理場」の建物が残っていた。(写真)
勿論、建物の前に空き地などない。
Mさんのメールには、「ショートル市場から海が見えた」と書いてあった。
観城路の先に、四川路という広い道路があった。
海が見えた。
四川路は、小港方面から団島岬の先端のほうへ向かっている。
その道を行くと、黄島行きのフェリーが発着する埠頭がある。
さらにその先を行くと、海岸に向かう道が開けていた。
岸壁に出た。
眼前をフェリーが行き来していた。(写真)
小港が見え、貨物船が接岸できる岸壁が続いていた。
ソウルのKさんが釣りをした海も、
Mさんがショートル市場から見た海も、この海に違いない。
「あそこに見えるのが小港だよ」
見知らぬおじさんが気さくに話しかけてきた。
「ふむ、ふむ」
わかったような振りをしていたが、
だんだん説明が難しくなってきたから、
「日本人なんだ」
と、あっさり兜を脱いだ。
「ハジメマシテ」
おじさんは、一つ覚えの日本語を何度も繰り返して笑った。
「ハジメマシテ」
このおじさんの一つ覚えのように、
これからも「思い出の痕跡」を捜し続けよう。
中途半端ながら、
ショートル市場の痕跡探しは、ひとまずこれで打ち切ることにする。
このブログを見た方から、何か情報が寄せられれば、また続きを書くことにしたい。
(2006年3月5日)
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