青島満帆

戦争は、勝った側も負けた側もこんな馬鹿馬鹿しいことはない」黄瀛

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話は大正14年(1925年)までさかのぼる。

「青島日本中学校校史」に、
当時の中学生の労山登山の様子が載っているので拾ってみよう。
※労山の「労」は山編に労と書く。市の東部に連なる山系で、主峰は海抜1100メートル。

「(中学)五年生の秋、中国保安隊員2,3名付き添いで労山へ、
重装備で野外一泊行軍が実施された」(六回生・鎌田吉蔵)

「当日朝、第一小学校の校庭に集合した。
生徒は皆制服制帽で、例の海軍式ゲートルをつけ、ズックの鞄を右から左に掛け、
教練用の背のうには食料や衣料を収納し、携帯天幕を捲いて取り付けて背負い、
弾薬盒と銃剣を外した帯革を締めたりりしい姿であった。

小銃で武装した二名の巡警が護衛として参加し、元気いっぱいで出発した。

行軍のコースは、大港駅から四方駅まで汽車、それからは徒歩で李村、九水を経て労山に向かった」
(六回生・北里又郎)

1925年といえば、中国は軍閥割拠の時代である。
前年に張作霖が軍閥戦争に勝利し、北京政府を握っていた。
そして、山東半島を勢力下に収めていたのが張作霖派の張宗昌であった。

張作霖は親日派だといわれていたから、
この年、青島在留日本人は比較的安泰に暮らしていたに違いない。

しかし、青島日本中学校の労山登山はこの年だけで、それ以降記録にない。

1926年、蒋介石を総司令官とする北伐軍が進撃開始。
翌27年、あっという間に武漢、南京を占領。

日本軍山東出兵。

「このとき青島へ上陸した日本陸軍の一部は中学校にも宿営し、
正門には厳めしい銃剣を持った衛兵が立っていた」(八回生・宇田川芳郎)

そして日本は、泥沼の日中戦争へと突き進んでいく。

護衛付きといえども、
軍事教練張りの労山登山などできる情勢ではない。

話はまた1942年頃まで下る。

Mさんが護衛付きで浮山に登ったちょうど同じころ、
青島中学二十四回生のKさんも、友人三人で浮山に登っている。

<Kさんのメール>
「浮山登山は青中の学生服、制服制帽という恰好です。

別に護衛もなしだったと思います。

私達が登った道はもう覚えていませんが、当時の写真は岩に三人つかまり、
バックは空です。案外軽装です。山の中程でしょう。
なぜ登山したかは覚えていません」

血気盛んな中学生だ。

個人的な登山なら、労山は無理でも、浮山ならできたのだろう。
                     (2006年4月1日)

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