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天津のS大学にいるときのこと。
女子学生が不満たらたらの顔をして、私の部屋に飛び込んできた。
「先生!
私が日本人留学生に、
『この料理食べられますか』
と聞いたら、そんな日本語はない、と叱られました。
『<食べれます>、が正しい日本語です』と言います。
先生、どちらが正しい日本語ですか?」
まるで私が間違えた日本語を教えているような口ぶりだ。
「誰だ!そんなふざけたことを言う日本人は!ここに連れてきなさいっ」
と言いたいところだが、
実のところ「ら抜き言葉」がこれほど浸透しているとは思っていなかった。
国語審議会が「ら抜き言葉」を取り上げたのが1995年。
そのときはまだ、「ら抜き言葉」は認めないという立場だった。
それからまだ5年ほどしか経っていない。
あっという間に「ら抜き言葉」が広がって、
「ら」を抜かない可能動詞を知らない若者ばかりになってしまったのか。
怒るより驚きのほうが大きかった。
それ以来、私も、
「ら抜き言葉」と「らを抜かない言葉」を両方教えることにしている。
この「ら抜き言葉」も、最近は、
「受身の敬語と、可能動詞を区別できるから合理的だ」
という意見が大勢を占めるようになった。
確かにそうだ。
「ここから富士山が見られますよ」
と言われても、敬語を使っているのか、可能動詞なのか判然としない。
「られる、れる」の可能動詞ができあがったのは、江戸末期から明治の初めだそうだ。
その可能動詞が、早くも「ら抜き言葉」に変身した。
日本語は今、大きく変動しているようにみえる。
(2006年5月7日)
※写真はジャスコ付近の新緑風景
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