青島満帆

戦争は、勝った側も負けた側もこんな馬鹿馬鹿しいことはない」黄瀛

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修学旅行は北京

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I氏から、小学6年生のときに書いた修学旅行記が送られてきた。
かなり詳しい、観察力に溢れた作文なので、全文を紹介する。
文中のカッコの中はI氏による注釈である。
文章は旧仮名遣いで書かれているのでそのままにした。
例;言ふ、向ふ、など。

前にも書いたが、青島には日本人小学校が5校あった。
第一、第二、第三、四方、滄口の小学校である。
I氏は第三小学校の出身である。

今の人には「北京は森の都だ」といっても実感は湧かないだろうが、
当時の北京はまだ高層建築物がなく、
小高い丘から市内を一望すると、建造物は大木に覆い隠され、
まさに「森の都」だったのだ。
我々は、
「森の都・北京」を実際に見ることができた、数少ない日本人だと思う。

<旅行記>。(括弧内は、I氏による注釈)
五月十九日(昭和18年、1943年)起、六時半 寝、十一時
今日いよいよ修学旅行です。
授業は2時間しか3時間目は青島神社参拝があった。
神社から帰って用意をしました。
2、3日前から用意してあったのであまり忙しくなかった。
昼間はうれしくて胸が鳥のやう(よう)だった。

いよいよ8時になった。8時半までに青島神社に集合するのだ。8時に家を出た。
近所の人に「行ってまいります」と言って弟といっしょに青島神社へ向かった。
弟は青島神社までむかえに(「送りに」の間違え?)きてくれるのだ。
母は9時ごろ家を出てすぐ青島駅へ行くそうだ。
僕等は8時半に出発して青島駅に向かった。
青島駅にまだ汽車の出発するまで1時間30分ぐらい時間があった。
しばらくして母さんが高橋(健)君の母さんといっしょに来ました。

汽車に乗って動き出したときは母さんと手を振り合って別れました。
大港駅も四方もそう口も過ぎ、しばらくして南郷先生が
「もう10時だから休みなさい」とおっしゃいました。
汽車が出発してから1時間半たっている。
生まれて始めての修学旅行なので
皆がとても僕までとてもうれしくてなかなか寝れませんでした(眠れませんでした)。

五月二十日 起、五時 寝、九時
今日は済南に9時5分についた。汽車の中なので歯はみがくことができなかった。
栄江屋旅館であった。旅館に着くとすぐスタンプを押した。
ご飯がすんで午後1時に見学に行った。
先ず済南が水の都と言われるポートチャン(意味不明)に行った。
水はどんどん出ていた。
それから大明湖にも行った。はすがたくさんあった。
それから百年余たった大きなこひ(鯉のこと)とその他多くのこひがたくさんいた。
夕方は外出があった。夜は旅館でぐっすり寝た。

五月二十一日 起、六時半 寝、十時
朝8時に旅館を出た。汽車に乗って支店のおじちゃんからお菓子をいただいた。
汽車は広い大平原をまっしぐらに走る。午後4時に天津についた。
天津は5月の始めに山下君が天津に行った。(転居の意味か?)
山下君のお母さんがいらっしゃった。
山下君はまだ学校から帰っていないのでこないそうだ。

天津を出てから三時間して北京についた。
北京では大野家旅館に泊まることになった。
明日は天檀や万寿山にいくそうだ。

五月二十二日 起、七時 寝、十時
今日から北京を見学するのだ。
僕等は北京駅へ行ってそこから観光バスに乗って紫禁城に向かった。
バスはすぐ紫禁城に着いた。
高さが10米もある様な高い門をくぐって出た所にまた門が見えた。
その門もくぐって又出た所は広い広い庭のような所であった。
その庭をもくぐって出たときやっと見える物は大きな城か家のような建物であった。

その中に入ると高い所にりっぱないすがあって、
その横のはしから縦のはしまでもめずらしい物がたくさんあった。
中でも八つの種類のある着物などがあって、
白色や赤色、茶色のものなどがたくさんあった。
三つぐらいのいろいろな物をいれた箱、
その中にはしかのつの(鹿の角)で作ったいすや金の時計とか言ふめずらしい物ばかりで、
そのほか広い庭や、昔王様の使われたと言ふ今の鉄ぼうの二倍のあらうかと思ふのが十もあった。
僕はいかに大国であったかをしみじみ感じた。

バスは再び北海公園に向かった。
僕等が北海公園で下車した所の前に広い大きな池があって、その向ふに山があった。
その山は北京で一番大きな山だそうです。
僕等は池のはしからはしまでかかっている(意味不明)。
山の上に登ってみると白い塔があった。
その上に上がると一面本が市にはんしいた(意味不明、多分市内に木が多いとの意味らしい)。
先生が北京は森の都といわれているとおっしゃった。

すぐ向ふ紫禁城があって前に(以前に?)紫禁城で高いと思ったよりはやや高かった。
その外、中海公園、南海公園、中央公園があるが行かなかった。
北海公園では中国人がボートに乗って遊んでいた。

三十分ぐらいバスに乗って着いた所は万寿山であった。
まがりくねった道を通ってひょっこり出た所はりっぱな??池とりっぱな大きい山があり、
まことに景色がよい所であった。
広い大きな池を見ながら昼ご飯をたべた。

それから池のまわりを通って石の船のある所にいった。
又今度は数百段もあるやうな長い石段を上って
万寿山の上からながめた美しさは口では言ふことができない程であった。
万寿山のふもとにある一つの小さな店で
皆が父さんのおみやげと思って杖を買っていたが僕は買わなかった。

万寿山はもと西たい后と言ふぜいたくな(皇后が)金を費やしてつくった山と池だそうだ。
その金のねだんは戦艦四隻もできるそうだ。
まことに人造池と人造山である。

人造池と人造山を見た僕等は再び観光バスに乗って天檀に向かった。
途中村本君と土橋君がい眠りをしだした二人は頭を合わせて眠っていた。
村本君があまりへんなかっこうで眠っていたので皆が笑った。
皆が笑ったので村本君は起きて上を見た。すると先生が村本君を見ていた。
村本君は今度先生を見たので、二人が見合ったのでなほみんながわらった。

下車して僕等は天檀の向ふに円くへいがある向ふから岡見君の兄さんが小さな声を出すと
それが聞こえた。僕は不思議でたまらなかった。

それからすぐ真っすぐな通りを二百米ぐらい行って天檀に行った。
天檀は昔の中国の人が天を拝む所だそうだ。僕はそこにも行った。
それから天から落ちてきたと言はれる北斗七星の形をしている岩の所にも行って、
そこから走ってバスのある所まで行った。
そこから父の杖を一円で買った。それから松坂屋にも行っておみやげをかった。
母にはかんずけきり(?)の小さいのをかった。

五月二十三日 起、七時二十分 寝、一時
今日は午前中外出があった。六人いっしょに松坂屋まで行った。
十二時半頃大野家旅館を出て北京駅より汽車に乗りました。

それから三時間ぐらいして天津についた時は
山下君がお母さんといっしょに駅まで来ていました。
村本君は山下君に杖をあげていた。
ほかの人もそれぞれキャラメルなどをあげていた。
あすはいよいよ青島につくのだ。

五月二十四日 起、三時半 寝、六時半(?)
―― 五月二十四日は大港駅につくまで ――
きのふ(昨日)はなかなか眠れなくて朝は大変早く起きた。
汽車はいつしかそう口、四方を過ぎ大港へついた。
汽車からおりると先ず校長先生がめにはいった。
その少し後ろに母さんがにこにこして迎えにきてくれた。またあすから学校だ。

※写真は、廃駅になった大港駅と増設中の線路

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