青島満帆

戦争は、勝った側も負けた側もこんな馬鹿馬鹿しいことはない」黄瀛

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青島中学の巨大門柱

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中国海洋大学として現存する青島日本中学校の校舎は、
1921年に建築されたものである。

しかし、最初に青島日本中学校が設置されたのは、

大正6年(1917年)2月21日青島軍政告示第11号
「青島に青島中学校を設置し旭町旭兵営を以って校舎に充て
大正6年4月4日より開校す」

とあるように、旭兵営(旧イルチス兵営・中山公園の東)を校舎として開校した。

その後、新校舎の建設に着手。

大正9年(1920年)3月5日に校舎建設の地鎮祭が挙行された。
同10年(1921年)6月27日に新校舎は落成し、同月30日に移転を完了した。

青島日本中学校(現中国海洋大学)の建築概要は次のとおりである。

青島日本中学校は総建坪1200坪、軒高35尺5寸、中央塔尖端まで120尺、
位置青島市万年山山腹有明町(現魚山路)
1、 様式   近世式
2、 構造   煉瓦造二階建 塔は四層とし、腰回り花崗岩積、
その上部総体「セメント」漆喰塗、
屋根勾配8寸5分、青島型、赤焼平瓦葺、塔は銅板葺
3、 暖房   低圧蒸気暖房装置  
4、 上下水道 総て水流式として公共上下水道へ接続する。
5、 工期   大正8年1月〜大正9年7月
6、 総工費  金額換算60万円
7、 設計   建築学会正員 三上貞
     工事監督 西川徳治
  建築請負 公和工程局 工事代人 森島安雄
  暖房請負 三井物産株式会社 工事代人 梅沢重彦
  水道請負 泰東公司
  電気請負 日支電業社

なお、田辺先生(図工、工作)も設計担当の一員として参画され大いに寄与された。
(青島日本中学校校史より)

昭和10年(1935年)、青島中学に赴任した岸辰雄教諭は、

「青島中学に来て、登校第一日目に私が驚いたことが四つある。

第一は、正面に塔のある石造建築の堂々たる校舎である。

当時、内地の中学校で、石造建築の校舎を見たことがなかったからである。

第二には完備した付属施設である。

中でも、校内隅々まで行き渡っている蒸気暖房装置と温室には目を丸くした。

内地では、戦後の今日でも、これだけの施設を備えた中学校はないであろう。」
(以下略)(青島日本中学校校史より)

また、第四回生の灰塚一郎氏は、

「この校舎の表門がまたすばらしい。

花崗岩で太さも私たち3、4人で取りまく位、

高さも10メートルもあろうかと思われる。こんな門柱が左右に立っている」

と、門柱の大きさに驚いている。

そしてまた、第七回生の梅沢信彦氏は、

「入学式当日は正門から校舎に入ったが、強烈な印象は門柱の巨大さであった。

中学生として第一歩を印すに当たっての第一が門柱であった。

門と門との間の広さ、門柱の高さと太さに一驚したのである。(中略)

何よりも私を満足させたのは、当時この門柱の設計に当たったと伝えられる

田辺毅先生(図画担当)の設計誤りだと聞いて、

少年ながらよくぞ間違えられた、

この門であってこそこの中学校に似つかわしい門ではないかと、

胸を大きく張って満足したものであった。」


なんと、あの歴史に残る巨大な門柱は、

当時、青島中学図工担当だった田辺毅先生の設計ミスだったのである。

※写真1は現中国海洋大学の門柱
 写真2は魚山路

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