青島満帆

戦争は、勝った側も負けた側もこんな馬鹿馬鹿しいことはない」黄瀛

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旧日本商工会議所跡

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館陶路の旧取引所跡をさらに大港に向かって行くと、

旧青島日本商工会議所跡がある。


“1940年建築”とあるから、

わずか5年の命運だったことになる。


建築1年後に第二次大戦が始まり、

間もなく日本の敗色濃厚になる。


子供だった私には戦争の情勢はわからなかったが、

海の輸送もままならなくなり、

商業活動も停滞し始めた。


当時、日本向けに弁柄の輸出をやっていた私の父も、

商売あがったりであった。


いち早く見切りをつけて内地へ引き揚げた商人も多く、

結局、その人たちは賢明だったということになる。


一時は4万人に達した青島在留邦人も、

終戦時は3万6千人に減っていたといわれる。


終戦間際に日本に向かった最後の客船は、

途中でアメリカの潜水艦に撃沈された。


その船に乗った、まだ中学2年生の私の友人は、

家族のすべて失い、ただ一人生き残ったそうだ。


「青島は危ない」という情報に動揺した青島在留邦人の中には、

I氏一家のように、旧満州に避難する人たちもいた。

I氏は大連で終戦を迎え、内地引き揚げがさらに遅れた。
(I氏の「青島中学の思い出」をご覧ください)


私の家族も旧満州への疎開を準備していたそうだが、

直前になって父が中止を決意し、最悪の事態は免れた。


私はそのとき北京の学校にいて、内地引き揚げは一番早かった。


波乱に満ちた、青島の在留邦人たちであった。

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