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まだ小学校に入る前のころ。
父が中国人と仕事の打ち合わせか何かをしているとき、
中国語で話しているのが不思議で、
「(私の)苗字の○○は、中国語でなんと言うの?」
と聞いてみた。
父はいつになく真剣な面持ちで私のほうに向きを変えると、
「ずーりーだよ。ずーりー」
と、何度も繰り返した。
面白半分に聞いたことなのに、
しまいには傍らの中国人まで加わって、
真剣に発音の練習までさせられたのには辟易した。
小学校に上がるときは、前年に日中戦争が始まって、
青島在留日本人が総引き揚げをして、青島に戻ってきたばかりだった。
父と母の前に座らされて、
本籍地と、祖父の住所を繰り返し暗誦させられた。
群馬県多野郡美土里村大字○○甲○○番地
山口県萩市土原九、今井惣太郎
「土原は「ひじわら」と読むんだよ」
と何度も念を押された。
小学生になるということは、
本籍地を漢字で覚えることなんだな、と思ったほどだった。
戦後30年も経ってから、中国に残留孤児がいることが明らかになった。
そのほとんどが、自分の戻るべき祖国の地名を覚えていなかった。
そのことを知ったとき、はじめて、
父が何のために本籍や、祖父の住所を暗記させたのか、
その深謀遠慮に気がついたのである。
※写真は旧ドイツのホテル跡
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