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Kさんから 「青島高女の思い出」第10号 の原稿が届きましたのでご覧ください。 下の写真は、裏のほうから見た青島高女跡です。 <青島高女の思い出(十)> 小学校の頃のことでした。 通学するのに、治安が悪いところがあるので 朝の集団登校は、 山東路(現中山路)にあった丸谷文房具屋さんの前に集合し、 学校へお兄さんやお姉さんが連れて行って下さいました。 丸谷さんの近くに加藤牛乳の加藤俊子さん(同級生です) 「とっちゃんとっちゃん」と呼んだ記憶がある俊子さんもご一緒、 三菱商事の片桐さんという下級生もいたように思います。 学校の帰りは通ってはいけないと注意されても、 子供は行きたい、近いところを通りたいという好奇心で、 中国人街を通ったものです。 また、公園を散策しながら学校や家にと遊び遊び通ったものです。 通学路によくむしろがかけられた死体が置かれていました。 それは行路病者とか伝染病患者だったり、 でも子供である私たちは平気で覗いたりしたものでした。 死人といえば、我が家のボーイ宅で子供が死んだ時、 「親より早く死んだ親不孝者、犬や鳥などに食べられよ」 と道路に捨て、葬ることをしないと聞き、 父親がボーイさんに 子供でも葬ってあげることが大事と話したことを聞いていました。 今、日本で赤ちゃんポストのニュースを聞きますが、 戦前、青島にもあったことを記憶しています。 次号でその話を送ります. (この稿終わり) ※私も、小学校に通う道の脇に、 乳児が捨てられているのはよく見ました。 貧しい時代のお話でした。 ところで、 昨日、元青島高女の内部に入る機会がありました。 以下、現在の内部の写真をお届けします。 1階、2階はほとんど使われていませんでした。 |
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2007年05月18日
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