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青島高女の思い出(七)
久々にKさんから「青島高女の思い出」が届きました。
第七回は引揚げ開始後のお話です。
青島からの引き揚げは、奥地からの引き揚げ者に比べると、
だいぶ恵まれていたようですが、
それでも辛い思い出がいっぱいあったようです。
<青島高女の思い出>
日本人が引揚げるという噂が立つと、
その日の朝から中国人の長い行列が続きます。
はじめは何のことかよく分からなかったのですが、
日本人が家を出発するや否や怒濤のごとく家の中に人が入り込んで、
家財道具を持ち去って行くのです。
この様子をみて胸がつぶれる思いでした。
昭和20年に帰国した方は、恐らく知らなかったことでしょう。
満州から引揚げて来た方達は着の身着のままという方が多く、
女性は断髪という方達でした。
私たちも家財道具、衣類、布団などを全部持ち帰ることが出来なかったので、
両親達はその方達に差し上げていました。
昭和21年からの引揚げは大分緩和され、
一人衣類3着、布団一組までという条件が出されていました。
青島港からはアメリカの上陸用舟艇での引揚げでした。
船の甲板には太い綱が渡され引揚者は、
船底に座って乗り込む状態でした。
また、乗船するについての埠頭での身体検査は、
中国の中学生、女学生でした。
両親達は半世紀ほどの長い年月を過ごしたので
中国の友人達との別れもひとしおだったと思います。
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