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「青島で生まれたお母さんを案内」 ※この記事は、「青島満帆2」(ライブドア・ブログ)に書いたものを再構成し、転載したものです。ご了承ください。 7月の29日と30日の二日間、 日本からのお客さんを案内しました。 お客さんはIさん御一行。 最初にいただいたメールには、 「私の母は1933年青島で生まれ、青島第1小学校に5年生まで通いました。
今年で73歳になります。(中略)
友人2人とそのお母さんたちも同行することになっており実は、私と母だけでなく 30代から80代までの総勢6名です。 ホテルや旅行会社で手配していただくことも考えましたが、 足立さんのブログを読んでいて 日本語を教えておられる方に紹介していただければいいのにと思い、 メールさせていただきました。」 というわけで、いよいよ私の出番になりました。 第一日目は、 お母さんが住んでいたという中野町(現聊城路)を探索しました。 Iさんのメールには、 「祖母は芸者さんの髪結いをしておりました。 母が覚えているのは 長い階段を上りきった崖のところに住んでいたということだけです。 近くにりっぱな芸者さんの置屋があったようだと言っていました。 足立さんのブログの「昔、色街があった(二) 」にある 『聊城路の途中に階段があり、そこを下りたところが市場三路になる』 これがその階段ではないかと言っています。」 その階段というのがこの写真になります。 今はこのように店が並んでにぎわっています。 この階段の左側が崖になっていて、 そこに髪結いの店が建っていたものと思われます。 「青島会報」に載っている住宅地図には、 「林結髪」となっていますが、 そこがIさんの旧姓「下村」宅跡に間違いないでしょう。 (後日わかりましたが、これは私の思い込みによるとんでもない間違いでした) Iさんのメールはつづきます。 「隣に本屋『たいかんどう』、 その隣に祖母の両親が営む小料理屋「時雨」があったそうです。」 (あとでわかったことですが) 階段を上がってすぐ左側に小料理屋「時雨」があり、 その隣が本屋「大観堂」(写真右側)、 そしてその隣が時計屋(写真左側)、 そしてその隣が髪結い「下村」宅になるわけです。 写真は現在の下村宅跡。 下の写真は旧下村宅前で撮ったIさんの少女時代の写真です。 写真左上に 「アイスケーキ、クリームケーキ」 の文字が見えます。 これは「仁泰商行ケーキ」というケーキ屋さんでしょう。 Iさんのメール。 「小料理屋の横に100段くらいの石段があり、(中略) 階段を下りたところには映画館や市場があったそうです。」 その映画館こそ、以前に紹介した「電気館」ということになります。 私が、 「ここで『風の又三郎』などを見ました」 と言いますと、 すかさずIさんのお母さんが、 「『マライのハリマオ』も見ました」 と返ってきました。 少年少女時代の懐かしい思い出が一致しました。 Iさんが生まれたところは、 「青島神社を降りたところの庭付きの平屋で 住所は「キチリンロ」としか分かっていません。」 とのことで、次に旧青島神社(現貯水山公園)から「吉林路」へ。 ※上の写真は旧青島神社(現貯水山公園)の階段。 吉林路は残念ながらビルが建ち並び、 昔の面影はありません。 でも、少し歩くと、端のほうに旧い建物が残っていました。 Iさんのお母さんが生まれたところは番地も分かりませんので、 <もしかしたら「このあたりかも知れない」> という願いをこめてシャッターを切りました。 二日間でしたが、 元第一小学校、八大関、小魚山、ビール博物館などを 駆け足で案内しました。 車を運転してくれたのがY君。 車には私の日本語教室の生徒も乗せてもらい、 みなさんと交流させていただきました。 お客さんのお好みによってレストランを案内し、 料理の注文をしてくれたのが日本人女性のYさん。 このYさんは、お客さんが買い物するとき、 強烈にまけさせる事ができるという心強い助っ人。 そして私めが旧市内を案内しました。 日本のみなさん、 どうぞ青島へおいでください、 一味違った青島の街をご案内いたします。
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2007年10月14日
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