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「Yさん、62年目の我が家」 10月19日、 我が同窓会・羊会のメンバー、Yさんがやってきました。 同窓生と言っても、 Yさんは第二小学校、私は第一小学校出身ですから初対面です。 日本語ができるMさんのタクシーを予約して迎えに行きました。 飛行機は予定通り12時に青島空港に到着。 ○○協同組合のツアーですからすぐ見つかりました。 Yさんと妹さん、弟さんをタクシーに乗せてツアーとは別行動です。 武勝関路へ向かいます。 武勝関路5号にYさん一家の旧宅がそのまま残っています。 感激するYさん。 声が震えています。 運転手のMさんが家の中に入って交渉します。 若い男性が留守番をしていました。 62年前にここに住んでいた日本人が、 家の中を見たいというので、 この若者もOKしてくれました。 聞けば、この建物はホテルに改装したばかりで、 明日から営業するところでした。 営業を始めたあとでは中を見ることはできなかったでしょう。 間一髪のタイミングでした。 姉妹と弟さんの3人は、 日本から持参した両親の写真を掲げながら、 一部屋一部屋を見て回ります。 一番末の弟さんは○○協同組合の理事長さんです。 その当時はまだ生まれたばかりで、 何も覚えていませんが、 「こんな素晴らしい環境の中に住んでいたのか」 と感慨深げにお姉さんたちの説明を聞いています。 ここは八大関という旧ドイツが造成した別荘地帯。 周りも林に囲まれた一等地です。 第一海水浴場(忠の海)にも近く、 「夏になると一日に3回も泳ぎに行って、 裏も表も真っ黒だったのよ」 Yさんはお転婆だった少女時代を振り返ります。 屋上に上ると太平山が見えます。 「屋上は昔のままだわ」 3人はしばし屋上で思い出を語り合います。 庭の一角に、 大家さんの白系ロシア人が住んでいて、 時々ピロシキをご馳走になったそうです。 「うれしいわ! 昔の家が残っているなんて。 それも家の中まで見ることができて もう胸がいっぱいです」 Yさんの感極まった声に、 私も思わずこみ上げてくるものがあります。 そのあと、少女時代の記憶を確認しながら 家の周辺を散歩しました。 再びタクシーに乗って、 広西路の第二日本小学校跡、 青島高女跡、青島神社跡、旧中野町(聊城路)、 中山路を回って、 午後5時、ホテルに着きました。 62年ぶりに我が家とのご対面を果たしたYさん。 その喜びの一役を担うことができて、 私も感激一入でした。 その日の夕食はツアー御一行様のご相伴に預かりました。 ご馳走様でした。
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2007年10月20日
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