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「Kaさんの青島思い出話」 ※この記事はLivedoorブログ「青島満帆2」に載せたものを転載したものです。 ご了承ください。 長い間、Kさんに 「青島高女の思い出」 を連載していただきましたが、 今回から 「Kaさんの青島思い出話」 と題名を改めて、 引き続き連載させていただきます。 どうぞご愛読ください。 <Kaさんの青島思い出話> 昔々の青島のこと、 母から伝え聞いたことを書いてみたいと思います。 済南事件で駐屯された名古屋の工兵隊の方々が、 「青島生まれの子供達は、 川や池など見たことがなく可哀想だ」 ということで、 青島神社境内のところに、 池、橋や川などを造ってくださったのだそうです。 場所はお稲荷さんのあったところです。 〔青島満帆の解説〕 ※青島神社というのは、 現在の貯水山公園で、 1920年(大正8年)に造営されました。 境内に青島稲荷神社が建てられたのは、 1931年(昭和6年)のことですが、 位置はどの辺だったのか、 私はよく覚えていません。 ※済南事件(五・三惨案)の発端は、 1928年4月、日本軍の第二次山東出兵にあります。 その年の3月、 蒋介石率いる中国国民政府軍が北伐を開始すると、 日本政府(田中義一内閣)は、 在留邦人保護を理由に、 天津駐屯軍から3個中隊、 内地から熊本第6師団に出動命令を出しました。 (第二次山東出兵) よその国に軍隊を派遣すれば小競り合いが起こるのは当然です。 5月1日、国民政府軍が済南に入城すると、 済南市内ではあちこちで銃撃戦がはじまりました。 しかし、国民政府軍は日本軍とのいざこざを避けて、 北伐に向かいます。 すると日本軍部は、 アヘンの密売に暗躍する日本人浪人12名が、 中国民間人の恨みを買って殺害されたことを誇大に報告し、 日本国内の世論を煽ります。 5月9日、 名古屋第3師団に出動命令が発動されます。 (第3次山東出兵) しかし、 名古屋第3師団が青島に上陸したのは6月4日。 そのときすでに日本軍は、 済南市内を破壊しつくし、占領していました。 名古屋の工兵隊が旧青島神社に池や橋を造ったのは、 この頃のことではないでしょうか。 翌1929年3月、日中の交渉が成立し日本軍は撤退します。 これ以後、張作霖爆破事件、柳条湖事件と、 日本軍部の暴発は続き、 日中全面戦争へと拡大していきます。 |
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2007年11月12日
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