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青島海岸周辺の魚釣りの思い出 <今日は西村氏の「思い出」第2弾です。> 青島市を囲む海岸線は結構長く起伏に富み、 魚釣りに適した場所・海域に恵まれていたようです。 私の父は魚釣りが好きで休日など利用して、 2〜3人の友人と私を連れて 舟釣りや岩場釣りによく連れて行ってくれたものでした。 現在の釣りの情況はよくわかりませんが、 昭和14〜18年当時はよく釣れていた記憶があります。 舟釣りではエンジン付の小型船で秋から冬場にかけて、 小港から台西鎮をぐるっと回った海域に多く出かけましたが、 やや大型の魚がよく釣れていました。 ↑現在の小港 ↑台西鎮の高速船発着所(黄島行き) 魚種は 平目、かれい、すずき、太刀、ちぬ、 たい(チントウ鯛)、黒めばる、ほうぼう、ぼら等々でした。 氷が入った木箱一杯釣ったことを覚えております。 ↑網にかかった魚 家に持ち帰ってからが大変、 てんやわんやで釣った魚の処理に、 また近所の方々におすそ分けしたり (迷惑だったかもしれませんが)したものでした。 現在のように長期保存のきく冷蔵庫が無かった時代でしたので 無理も無い情況だったのでしょう。 刺身、焼き物、煮物、水炊き、寄せ鍋、天婦羅、 2〜3日は魚ばかりの料理が続いて、 うんざりしたことを覚えております。 釣る時は面白さで,後の事はかんがえないものですね。 ↑現在の小港 また、海岸線では三日月浜岸壁で四季を問わず 小型(豆)のちぬ、鯛、めばる、あぶらめ、 などがごかいの餌で、よく釣れ、 多い時は10センチ前後の豆ちぬ、豆鯛混じりで 中型バケツ一杯釣れたこともありました。 これらの小魚は、母がうろこと内臓を除去し 骨が付いたまま空揚げにして甘酢につけて、 おかずとして大変おいしく、 皆喜んで食べたものでした。 ↑奥に見えるのが中港(もと三日月浜)。埋め立てが盛ん。 其の他、海岸の岩場釣りとして春から秋にかけて、 休日など忠の海から海浜公園にかけての岩場などで、 家族ぐるみ弁当などもって、 貝採りや竿釣りなどして1日中遊んだものでした。 釣れた魚は小型のもおおく、 ちぬ、鯛、あぶらめ、はぜのような小魚ばかりで 大したことはありませんでした。 勿論、家に帰ってから 味噌汁の実として利用した事は云うまでもありません。 ↑網にかかった小魚 以上、小学校時代の思い出でしたが、 平成16年(2004年)5月、羊会の青島訪問旅行時、 海浜公園の海岸付近を歩いていた時、 数人の中国人の方々が竿釣りをしているのを見かけ 懐かしくしばらく眺めておりましたが、 その間、全然つれませんでした。 近海が荒らされ魚が少なくなったのでしょうか? ちょっと気になるところではありました。 2007/12 記 西村 <西村氏の経歴> 昭和30年鹿児島大学水産学部漁業学科卒、 大洋漁業トロール部に就職。 トロール船(底引き網)に乗船、 青島沖から威海衛沖にかけ 魚やえびの漁獲を目的として操業した経験があります。 200海里が設定された頃以前は ベーリンク海、アフリカのケープタウン沖、アンゴラ沖、ナイジェリア沖、また、スペイン南のカナリー群島とモーリタリア、モロッコ沖、 と世界中の魚の漁獲が見込める海域で操業したものです。 200海里設定後は日本独自のトロールによる操業は出来なくなり、 現在は各国との合弁事業に移っている情況です。 青島海洋大学と鹿児島大学水産学部とは学校同士の交流があり、
また留学生の受け入れもあって、 私と同級の 水産学部部長(茶園正明教授)今井健彦教授が 教鞭をとっていたので(現在退官) 中国で活躍している人の中に 二人を知っている人もおられるのではと思っております。 |
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2007年12月27日
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