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※写真は、青島の新風景。本文記事と関係ありません。 「ボツダム宣言受諾の電報はかく発信された」 1945年8月の半ば、 外務省の幹部が、 大手町の東京電信局を秘かに訪れた。 イタリア、ドイツはすでに敗れ、 ソ連も満州に進攻して関東軍は敗走中であった。 友好国を失った日本が頼る国はない。 東京電信局では外国との通信回線はすべて閉鎖され、 ただひとつ、 スイスのジュネーブ回線だけが辛うじてつながっていた。 ボツダム宣言受諾の電報を連合国に発信するには、 もはや、このジュネーブ回線を利用する以外になかったのである。 やがて、東京電信局の局長室に、 外信部のベテランオペレーター3人が呼ばれた。 秘密厳守のもとに、 重大電報送信の任務が言い渡されたのである。 当時の通信方法はモールス通信である。 いわゆる「トン・ツー、トン・ツー」の符号で、 キーを叩き、一字一字送信するのである。 長文の英文電報を送信するにはベテランでないと務まらない。 東京電信局の外信部では、 すでに日本敗戦の情報はキャッチしていたが、 ボツダム宣言受諾という重大任務が、 東京電信局の一般局員の腕に委ねられたのである。 緊張の一夜が過ぎ、 まず、オペレーターAが、 ジュネーブ回線の前に座った。 3本の指でキーのつまみを握ると、 しなやかに手首が動いた。 「ツー・ト・ツーツー・ト・ツー・ト」(受信あれ) 静かな通信室にモールス符号が鳴り響いた。 「ツーツー・ト」(送信あれ) かくて、ボツダム宣言受諾の電報は、 ジュネーブを通じて全世界へ発信が開始された。 3人のオペレーターは長時間、交代でキーを叩き、 日本帝国主義の終焉を告げる大役を果たし終えたのである。 「トトト・ツー・ト」(送信終わり) 緊張感漂った通信室は、再び沈黙に包まれ、 大役を果たし終えたという安堵感とともに、 「敗戦」という、 かつて経験したことのない事態に直面したという実感が、 重くのしかかってきたのであった。 (あとがき) この一文は、旧東京中央電報局社内報「東京中電」に掲載された記事を、 記憶をもとに再現を試みたものである。 詳しい日時や、オペレーターの氏名なども明記されていたが、 私の記憶は定かではない。 |
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2007年07月15日
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