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究極の勤労動員、陸軍通信兵(三) 7月に入って、午後は海に泳ぎに行くこともあった。 往復は軍歌を歌いながらの行軍である。 ある日、泳いだ後に相撲を取った。私は体が大きいし、運動神経もあるほうだ。 国民学校時代はクラスで一番強かったし、放課後、学校代表の選手として、 相撲の心得のある先生に習ったこともある。 要するに年の割りには強かった。 その私に高橋兵長が「俺とやろうか」と声を掛けてきた。 軽くもんでやろう程度の気持ちだっただろう。 「ハイッ」と私は取り組んで全力でぶつかった。なかなか勝負がつかない。 気が付くと兵長も真っ赤になって踏ん張っている。 はっと思った。 この分でいくと私が勝つかもしれない。 もし勝ったら、兵長の立場がなくなるのではないか。 その瞬間に脳裏をよぎったのは、 “級長をしている時に、 試験の点数が私よりもいい者がたくさんいて恥ずかしかった。 また生物教師の仮分数に突然ぶん殴られた。 大人には立場がある。弱い者はいたわらなければいけない。 子供が大人に勝ってはいけないんじゃないか・・・“ そんなことが一度に頭に浮かんで集中力がなくなり、 私はずるずると寄り切られてしまった。 片八百長のようなもので、周りは気づかなかったが相手の兵長は分かっただろう。 その後は私と相撲を取らなかった。 ↑金口一路の家から階段を下ると海だ 入隊してひと月経った頃の日曜日、初めて外出許可が出た。 朝9時に出て夕方5時までである。 短い時間だが天にも昇るような心地で家に飛んで帰った。 金口一路の家に入ると真っ先に愛犬のシロが飛びついてきた。 ひと月もたっているのに、私の足音を覚えていた。 くんくんと鼻を鳴らして、「僕をほっておいて、どこに行ってた」となじるようだ。 真っ白なテリアの子供で、家族の中では私がいちばん可愛がっていた。 食堂で母が出してくれたお菓子を食べながら、ゆっくりと話をした。 兄や妹がどうしたこうしたという取りとめのない話だが、 こんなに気分のいい時間は久しぶりだった。 一人になって自分の机に座り、 意味もなく引き出しを開けてがらくたにさわって懐かしがり、 応接間のソファーに寝転んで本を読んだ。 誰にも強制されず、やりたい時にやりたいことをする。 軍隊の内務班では絶対に出来ないことである。 そうしているだけでも自由時間の有難さが身にしみた。 あっという間に帰隊の時間になった。 ついて来たいと鳴くシロと別れ、 これからまた始まる命令づくめの生活を考えながら、重い足取りで部隊に帰った。 ↑魚山路を右に曲がると海水浴場、その先が競馬場、陸軍部隊があった。 私達の仲間で一人だけ落伍者が出た。N君という不良の落第生だった。 一つ年上だから体も大きく、学校では上着の首のボタンをはずし、 タバコを吸って黄色に染まった指をちらつかせて、 真面目な生徒には怖い雰囲気を発散していた。 こんな規則づくめの生活には誰よりも苦痛を感じているはずで、 やはりサボタージュを始めた。 私達同士で私語を交わす時間はほとんどなかったので、 彼の周辺で何が起こっていたかは分からなかった。 体の不調を訴えているようにも見えた。 そういえば中学校での落第の原因は、成績よりも病気欠席によることが多い。 N君も恐らくそうで、病気を最大限に利用しながら、 軍隊生活に抵抗していたようだった。 数日たって父親と中学の担任教師がやって来た。引き取りに来たのだ。 わずかな時間だったが彼と別れの挨拶をした。 私は国の役に立たない情けない奴と思う一方で、 よく一人で抵抗して意志を貫いたなと、羨ましく感じたのも事実である。 その気持ちを込めて小声で「頑張ったな、元気でな」と手を握った。 Nも黙ってうなずいた。 ↑金口一路の家から坂上を見る。 内務班では夜10時に寝てから、時々かすかな音が聞こえてきた。 革の鞭で叩くような音、その後の押し殺したような悲鳴。 どうも近くの部屋で古年兵による制裁が行われているようだった。 N君はその制裁は受けなかった。 それは私達学徒班全員もそうで、 きっと隊内で厳重禁止の命令が出されていたのだろう。 その点ではよく殴りたがる上級生や教師のいる中学よりも安全だった。
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