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西村唯雄の「海外体験記」(一) <この度、西村唯雄氏から「海外体験記」が届きました。 戦後、漁業関係の仕事で世界を又に掛けて活躍された体験記です。 不定期に連載しますのでお楽しみに。> 1、ベトナム ベトナムが解放され南北が統一された直後の1978年(S58年)3月、 ベトナム、ホーチミン政府より共産圏とは友好関係にあった大洋漁業に対し、 沿岸漁業の開発発展を図りたいので助言を得たい、 また、操業に適した小型漁船の提供をというような申し出があった。 ベトナム沿岸では海老、イカ等の資源が豊富なこともあって、 会社では一応、条件と調査を兼ねて社員を派遣する事になった。 夫々専門知識を有する私を含む3人と通訳1人加え、 第1回目の交渉に当たる事になり、 場所は首都ハノイという事で、東京→北京→南寧経由でハノイに入った。 ハノイ国際空港は、 アメリカの飛行機による度重なる空爆によって破壊された跡生々しく、 未だ修復されていない穴ぼこの滑走路の間を縫って着陸した。 (当時共産国を通過するビザの取得は一般旅行者には難しい時期) 市内はあちらこちら爆撃による跡が見られたが、綺麗に片付けられていた。 我々一行が宿泊した所は比較的に破壊から免れていた旧市街の並木通りにある ヨーロッパ風の洒落た建物ホアビンホテルであった。 早速翌日から政府の水産部門を統括する役人数人と会い、 話の進め方について協議したが、 話し合った事について、其の都度上司に伺いをたてるというやり方で、 我々としては何ともまどろっこしいものであった。 これがベトナム共産党のやり方なのかと思った。 しかし、話の仕方も穏やかで物静かな中に誇り高い国民性の一面が見られ、 感心した場面もあった。 交渉は5日ほど続いて終わったが、 我々としては長い時間がかかったなぁと感じた。 交渉の結果については帰国後、 大洋本社よりお知らせしますということでベトナムを離れた。 帰国後この件について協議した結果、条件合わず中止となった。 ハノイに滞在中市街を少し歩いたが、 自転車で移動する人が多く、道を横断するのも大変だった。 役人と交渉中、 自転車を日本に輸出したいなどという真面目な話まであったほどで、 我々は逆に自転車をベトナムに輸出したいと言って笑った場面もあった。 又、丁度ハノイではホーチミンによって南北統一国家を樹立したという事で 近日、盛大にその記念式典がホーチミン広場で行われる事になっていた。 それを取材する為か、NHKの磯村キャスターが数人のスタッフを従え、 我々がホテルのロビーでコーヒーを楽しんでいた横を通りかかった時、 我々を見て「日本人の方ですか?」と声をかけてきた。 「そうです」と答えた所、 驚いた様子でベトナム統一後、 自分達が一番最初に入国した日本人だと思っていたとの事、 商社の方々は早いもんですねと感心?していたようだった。 NHK取材班も我々と同じホテルに宿泊するとの事だった。 ホテルでの食事は、 ベトナムは元フランス領だったので フランス式の料理?が主で結構美味しく、 特に出されていたフランスパンは、 以前パリで食べたパンに劣らない出来で美味しかった。 ベトナム料理も出たが、 料理の味付けに使用している「ヌックマム」という 独特の香りのする魚醤の味と匂いに馴れる事が出来なかった。 ベトナムの女性はすらっとした痩せ型の美女が多く、 街では時々魅力的な「アオザイ」姿の娘さん?を見かける事もあった。 以上の記事はもう30年も前のベトナム・ハノイの昔話である。 思い出しながら書いてみました。 戦後の痛々しい傷跡のあったハノイは、 現在、見違えるほど立派な美しい都市(古都)として甦っているとの事である。 「アオザイ」という女性の衣服は、 中国女性の足元まである長い衣服に似ているが、 腰から下の両側が足元から長く腰の近くまで切れ上がっているのが特徴で、 すらっとした背の高い女性にはとても魅力的なベトナムの衣裳と言える。
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