青島満帆

戦争は、勝った側も負けた側もこんな馬鹿馬鹿しいことはない」黄瀛

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ナイジェリアのラゴス

海外体験記(4)アフリカ編



「ナイジェリア」(一)

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<ナイジェリアのラゴス>


アフリカ南西部に位置するナイジェリア(ナイジェリア連邦共和国)は

人口、1億4000万人(種族数250以上)を有する

西アフリカ最大の国である。

現在は国中央部のアブシャに首都が移っているが、

我々がナイジェリアに行った頃(1962年)はラゴスが首都であった。

ラゴスはアフリカ西部では最大の港を持つ商業都市である。

人口は推定1500万人ぐらいと言われている。

港からは木材、カカオ、ナッツなどの農産物が輸出の主体であったが、

1970年頃ラゴスの西ポートハーコート付近で石油が発見され

現在日量250万バレルを上回る生産能力を有するまでに至っている。

この石油の輸出により外貨獲得は総輸出の金額の中、

95%以上を担っていると言われている。

石油が発見されて以来、

この利権に関わる種族同士の争いが絶えず、内戦まで発展、

一方外国石油資本の参入に絡む贈賄、賄賂が平然と行われる

世の中?の風潮が生まれ、

ナイジェリアは一時独立国家として最悪の事態に陥っていた。

2003年再選されたオルセグン・オバサンジョ大統領は

汚職まみれていた政府の立て直しに着手、

何とか国家としての体面を保っているのが現状である。

利権、汚職、麻薬に汚染されている現状は容易に解決出来ていないのが

現在のナイジェリヤの姿であり悩みの種となっている。

また貧富の差も大きくなり、国内特にラゴス近辺は治安も悪く、

誘拐、殺人などの事件が頻繁に発生しているとの事である。


さて、話は石油が発見される前の1962年(昭和37年)に戻る事になる。

ナイジェリアのラゴスに会社を持つ現地の有力な実業家が

三井物産を介して水産会社をラゴスに設立したい、

日本は漁業については先進国ということで

三井物産は大洋漁業にこの話し持ち込んできた。

三者協議を重ねた結果、ラゴスに合弁会社を設立(○○大洋)

大洋から冷凍能力を持つ500トン級サイドトロール船2隻

(それぞれ日本人乗組員10人)、を参加させることになった。

漁場は何が捕れるかわからないが

ポルトガル領アンゴラ沖からナイジェリア沿岸までの

広い海域での操業となるそうだ。

漁船にはナイジリア人数人を乗船させ教育することも求められていた。

(将来ナイジェリア人だけで操業可能)

予定の2隻は昭和38年中頃まで日本での操業が決まっていたので

それをこなした後、ナイジェリアに輸出するということになった。

船の検査や積み込み品の検査など順調に進み、

また乗組員は2年間のナイジェリア派遣という事で

人選も慎重に選んだようだった。

私は会社より先発第一船の2等航海士として乗船を命じられた。

私としては当時年齢はまだ30才で元気盛り、

給与条件も格段に良かった事もあって子供2人いたが、

家内も「頑張る、留守はしっかり守る」と言ってくれた。

「よし」と心に誓ってナイジェリアに向け出発する決心がついたのだった。

昭和38年(1963年)9月25日、

下関支社裏の岸壁から社員、家族に見送られながら

船長以下11人は遥か彼方のアフリカ・ナイジェリアラゴスに向けて出港した。


「下関からラゴスのでの航路と航程」

下関→フイリッピン西(南中国海)

→スンダ海峡(スマトラ島とジャバ島の間の海峡)

→インド洋(斜めにアフリカ最南端ケープ岬に向ける)

→ケープタウン入港(燃料補給)→アンゴラ沖(試験操業を実施)

→ナイジェリア・ラゴス港に入港

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航程下関→ボルネオ西→スンダ海峡(4850キロ)

→ケープタウン(10600キロ)→ラゴス港(4860キロ)

全航程:約20310キロ。地球赤道周りの約1/2の距離に当たる。


漁船の平均速力を9ノットとすると

1日当たり約400キロ進むことになる。

途中給油休養のためケープタウンに2日停泊、

アンゴラ沖の試験操業7日を加えると

ラゴス入港までに要した日数は60日となる。

今までこんなに長い日数、

時化らしい時化にも合わず洋上を航海出来たのは初めてのことであった。


当時ケープタウンには

大洋の2500トン級スタントロール船2隻が

鱈科のメルルーサを主体に操業しており、

また南インド洋、南大西洋で操業していた

日、韓、台のまぐろ船より冷凍まぐろの買い付けなどするために

大洋漁業の駐在員事務所が設置されていた。

我々も入港中この事務所のお世話になった。

イメージ 3

↑ブリッジ内でコーヒーを飲む筆者


当時、南アフリカ共和国は

白人と有色人種を差別するアパルトヘイトと言われている政策をとっており

総てにおいて居住区域、入場出来る所、出来ない所が区別されていた。

街にある食堂、レストランも同様で

白人専用、有色人専用という具合に分かれ、

有色人種である日本人だけは名誉白人?として

(韓、中は有色)白人社会の仲間としてあつかわれ、

自由に白人専用の場所に出入りすることが出来た。

このような人種差別(人種隔離)的政策が長く続く訳がないと思っていたところ、

暫くたった1991年、

当時のクラーク大統領がアパルトヘイトの廃止を打ち出し、

1994年有色人種を含めた全国民参加の大統領選挙を実施し、

原住民出身のマンデラ氏が当選、

初の黒人政権が誕生したことはご承知の通りである。

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