青島満帆

戦争は、勝った側も負けた側もこんな馬鹿馬鹿しいことはない」黄瀛

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西村唯雄の「海外体験記」


ナイジェリア・ラゴス編(3)



<船内で腕相撲大会>


その日の仕事が終った時

ナイジェリアボースン、レゴスより

これから家に帰るが一緒に来ませんか。

我が家のナイジェリア料理をご馳走します、と招待された。

一度は彼らの家庭を尋ねてみたいものと思っていたので快く受け、

彼に同行しタクシーで20分ぐらいの

アジェグンレという所にある彼の家に到着した。

黒人街の込み入った路地の中にあって、

こじんまりした家の中に10人ぐらいの家族と一緒に住んでいるようだった。

近所に住んでいるという乗組員2人も来て、待っていた。

男性の弟だとか、従兄弟だとか紹介され

7人ばかりであったがコーヒーをのみながら賑やかに話あっていた。

女性達は別室で何やらしているようであったが

こちらには全然顔を出すことはなかった。

イスラムの世界では其れが普通で当然と皆思っているようだった。

やがていろいろ料理が出てきたが、どれも香辛料を多く使った物ばかり、

日本人のわたくしには辛すぎる物ばかりであった。

ただ、揚げたバナナ、鶏の蒸し焼き、

ナイジェリアでは主食となっているヤム芋を煮た後、

乾燥させて粉にし、団子にしたものを

唐辛子の粉(ぺぺ)とピーナツ油を混ぜたものに漬けながら食べる、

これは中々美味しかった。

揚げバナナはさつま芋に似た味がした。

(野菜バナナと言って青く硬いバナナで黄色く熟れたバナナと違う)


2時間ぐらい滞在し、礼を述べタクシーで帰船した。

家庭にいる女性を見たかったが、帰るまで裏にいて姿を見せることはなかった。

街の中では大勢見ることが出来るのに、

家庭の中では違うのかなとちょっと違和感があった。

イメージ 1

↑ナイジェリア婦人(子供を背負っている)




船内での食事について、

日本人、ナイジェリア人は別々、魚も鱗の無い物は食べない。

イカ類については気味悪がって触りもしなかった。

しかし、我々はイカ類が好物、平気で食べているのを見て驚いていた。

特に取れたヤリイカを干してスルメを作り焼く時の香ばしいいい匂いには

彼等も興味深々。

我々が試しに食べてみなと割いたスルメを差し出してみると

若い男が恐る恐る手を出してそのスルメを口にした。

暫く噛んでいたが其の味の良さと美味さにびっくり。

それ以来魚に混じって混獲されるヤリイカを丁寧に拾い、

スルメ作りに励んでだ?ことは言うまでもない。

何でも土産に持って帰る為らしい。

鱗がないから教義に反するのではと言うと,

教義は教義、加工してこのような形になれば問題ないと

勝手な理屈をつけている所がまた面白かった。

これでナイジェリアの食文化に一石を投じた事になるかなぁーと可笑しかった。

以後の航海でこの行為が続いたのを見れば

スルメの評判は大いに良かったものと思う。

しかし陸上での加工は駄目、あくまでも船上で加工し,

スルメの形にして持ち込まなければ教義に背くことになると言うのだ。

いやはや・・・・・もう言うこと無しだ。

イメージ 2

↑ブリッジ内でコーヒーを




ナイジェリアの船員は日本人船員に比べ仕事の速度がとても遅い。

国民性の違いかも知れないがノンビリしている所がある。

しかし船の手入れ、特にペンキを塗らしたら

日本人乗組員に比べ懇切丁寧綺麗に塗ってくれる。

日本人はサッサッとやって仕事は速いが丁寧さがなく結構塗り残しがある。

この違いは何処にあるのか面白いところである。

また、長老の言うことは非常に良くきく。

我々はナイジェリア乗組員に対する指示は

総てナイジェリア・ボースンを通じて指示する事にしている。

そうすれば仕事はスムース行くことを知った。

共同で仕事をしていく為には大事な事で、ボースンの必要性を強く感じた。

また、技術力の高い人、力の強い人には尊敬の念をもつ。

船では時々、時間のあるとき、腕相撲などに興じる事があり、

お互いに力を自慢しあって勝負していたが、

やはり体の大きなナイジェリア人にはかなわない。

そこでいよいよ私の出番となった。

私は自慢ではないが腕相撲にかけては

今までどの船に乗っても負け知らずで知られた男、

日本人の乗組員は其の事はよく知っていた。

さあどうなるか?

勝負はあっけなく終った。

私の勝ちである。

相手は再三勝負をかけてきたが、結果は同じことであった。

これには要領が有るのである。

私は中学、高校、大学と野球をやっており、

ポジションはキャッチャーを8年間やっていた。

キャッチャーは2塁で走者を刺すため、内野手と違い、

しゃがんだ姿勢から2塁目がけ早い球を投げなければならない。

このため手首のスナップを鍛えるあらゆる訓練を積んだ訳である。

普通の人より手首を内側に曲げる力は格段に強い。

腕相撲はこの力を利用し、合図と共に素早く手首を内側に曲げると

相手はどんなに手に力を入れても倒す力は半減してしまう。

この技を使って今まで負け知らずで来た。

相手は私に対して完全に降参したことは言うまでもない。

これ以後、彼は私の家来?同然のような態度をとるようになった。

「技は身を助ける」ことになった一例とでも言っていいのかも知れない。

今、私は77才、筋肉も衰えており子供達にも負けるかも知れませんね。


10日ほど冷蔵庫代わりの停泊後、

1月20日再びアンゴラ沖漁場に向って出航した。

操業中ラゴス向け航走中の日本からの第2船と遭遇、

お互い挨拶を交わしながら航海の無事を祈った。

次の航海からは2隻の操業となる。

操業中アンゴラの小型漁船がエンジンの故障で

白旗を振りながら漂流しているのを発見、直ちに網を揚げ救助に向った。

乗組員は5人ぐらい船長はポルトガル人、

お互い下手な英語で話したが

アンゴラの港(首都)ルアンダに帰る途中エンジンが故障したとの事。

ここからルアンダ港まで約200キロ、

我々はお互い船乗り同士、曳航して故障船の救助に当たる事にした。

15時間あまりかかってルアンダに入港、

船から無線でアンゴラ側に通知していたのでポルトガル人の役人が待っていた。

色々事情を聞き、暫く港内に停泊していて下さい。

と言うので待っていたところ、

救助した船の船長と弁護士、通訳(ルアンダ在住の商社の日本人)と役人が来た。

救助してくれた礼を述べたあと、

救助料は幾らぐい払えば良いかという話になった。

我々はそんなこと少しも考えていなかったのだが・・・・

外国では当然と救助料を、しかも高額な金額を請求するのが普通だという事だった。

それで弁護士を連れて来たのかと合点した。

我が船の船長は、船乗りは海の上でどんな事か起こるか分からない。

お互い助け合うのが当然と、救助料の事はきっぱりと断った。

相手の船長は物凄く感激し笑みいっぱいで船長同士握手を交わした後

彼らに見送られながら漁場へと出航した。

3ヶ月後ポルトガル本国政府からナイジェリア・ラゴスの会社事務所に

我が船宛、救助に関する感謝状が届いた。

アンゴラは現在独立国(1975念独立)となっているが、

当時はまだポルトガルの領土で執政官がアンゴラを治めていた。

感謝状は船長室の壁にずっと飾られることになった。

イメージ 3

↑市内独立広場




もう一つ、この海域で10月頃、

ケープタウンを基地とする日本水産の

500トン型サイドトロール漁船が操業していた。

ところが何かのトラブルでSOSを発信しながら沈没した。

日本人乗組員20人が乗っていたが、急に沈没した為か

1人も助かった人はいなかった。

我々は操業を中止、沈没現場に急行、

既に日水の僚船が到着し沈没位置を探知機で確認していたので

その付近に網を入れ捜索を開始した。

引き返したり、行ったり何回かして網を揚げて見ると

魚の中に混じって、1人の遺体が上がった。

直ちに日水の船に引き取らせ其の後まる1日捜索したが上がらなかった。

どうも網を入れた後、船内で仕事をしていたか、部屋で休んでいる時の

突発事故ではなかったかと思う。

船名は「宇治丸」、悲しい異国の地の海難事故であった。

日水の方から、後は自分たちだけでそ捜索します。

どうぞ仕事に戻ってくださいとの要請があって、その場を離れたが、

なんとも言えない心に残る事件であった。

予定の300トンに達したのでラゴスに向け帰途についた。

ナイジェリア人乗組員もすっかり仕事に馴れ

網の破れの修理なども出来るようになり、

我々もおかげで仕事が少し楽になった。

操業中出会った僚船はラゴス入港後、

付近の海域で蝦を目的の試験操業に従事、かなりの蝦の存在を確認した。

この事が後ナイジェリア大洋の海外蝦トロール事業にもつながる事になった。

我々はだいたい1航海、1ヶ月のサイクルで回転している。

念願の1000トンクラスの冷蔵庫も完成した。

同クラスの2隻のトロール船の稼動も

15日毎にうまく入港することになれば

会社にとっては都合のいいサイクルとなる。

こんなにうまく行くか否か天気と漁次第という事になる。

神に祈るしかない。・・・・

せっかく馴れたナイジェリアの船員3人、

日本から来た第2船に乗船させる事になり、

新人3人と入れ替えることになった。

しかしベテラン?3人が残っているので心配はなかった。

相手船も同じ事だろうと思う。

休養を含めて5日停泊、2月26日再びアンゴラの沖漁場むけ出港した。

イメージ 4

↑岸壁での荷役風景



毎度の事ながら入港時、

日本の家族からの手紙を受け取る時は何をおいても1番嬉しく感じた。

返事も毎回出したが家族との絆というものがこれほど強く感じたことはなかった。

よし頑張らなくちゃーという新たな力が湧き出て来るのであった。

(ラゴス編つづく)

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