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光畑京子の「終戦日記」(二十一) <遂に女学校明け渡し> 青島高女の校旗と国旗掲揚台 昭和20年(1945年) 【10月3日 水曜日 晴れ】 今日、昨日から比べるとずーと暖かい。 掃除の取りかかりが遅いため先生から御注意を受ける。 五時間目が体操のためもありますけれどあまり遅すぎると思いました。 私は注意すればよかってのですけれど早くしたかったので注意もせずに働きました。 そして本谷さんと二人で水を汲みに行っている時にやっとやり始めていて、 私が言って床を拭くと 今日は遅いからやめましょうと言う人がいましたのでとても不愉快でした。 その床は月曜も火曜も拭いていないのでどろどろになっておりますのに 本当に不愉快でした。 でも私よりも先生の方が余計だったろうと思います。 何時も口ぐせのように話しておられたことが私達に出来ないとお思いになると。 でも班長の任務になっている私が悪いのだと思います。 これからはもっと私事を忘れて行うことが肝要だと考えさせられました。 今日学校でこんなことがあったせいか家に帰ってもひとつも落ち着かない。 【10月4日 木曜日 晴れ】 昼食がすんでから先生が陰日向を作る人が一番悪いとおっしゃいました。 又そしてこの事柄をまもれぬ人は社会に出ても良い人にはなる事が出来ません とお話してくださいました。 私は今後この御教えを忘れずにしっかりまもって行く覚悟です。 昼休のぼーる当はとてもおもしろかった。 青島高女校庭でバレーボール大会。青島高女昭和19年卒業記念アルバムより。 【10月5日 金曜日 晴れ】 今日別にこれと言う事もなしに過ごしてしまった。 学校から帰って妹と二人で散髪に行く。 夜一人静かな所で図画を描く。 自分の思うようにかけないのでちょっとしゃくにさわったが、 短気は損気であるから、やめる。 【10月6日 土曜日 晴れ】 今朝は朝会の始まるのが早いなと思ったら 私達に一生涯忘れようと思っても忘れられぬことが出来ました。 それはこの青島日本高等女学校を明け渡さなければならなくなったのです。 本当に私達学生にとっては一番残念な事です。 二時限で授業をやめて後は学校内の整理をする。 【10月7日 日曜日 晴れ】 今日も午前中からいつものように作業着を身につけ活動する。 私達二年四組の生徒は校長の御宅に事務所を移す仕事でした。 一生懸命働いた為かとても汗をかいた。 昼休に最後のボール当をする。 とても面白い。最後二番目になった時に当ってしまった。 とても残念でした。 作業を大体終えてから講堂に入って先生方のお話を聞く。 私はこの最後のお話を聞いた時は涙の流れるのを感じ、 そして私達が必ず日本再建を誓わずにはおられませんでした。 放課後、乾燥野菜を戴いて帰る。 青島高女運動会風景。青島高女昭和19年卒業記念アルバムより。 【10月8日 月曜日 晴れ風強し】 今日は近くの人が集まって後の整理をする。 本当に最後のお別れです。 一生懸命働きました。 私は心の中でしっかりと、 又この楽しい校舎で勉強が出来るように祈りました。 又やさしくしてくださった校長先生をはじめ諸先生ともお別れです。 そして又やさしく一生懸命に動員に励んだ水戸さんや、 又あっさりした三年の宮原さんや長さん、 高井さん、川口さん、出口さん、川原さんともお別れです。 又仲の良い級の方ともお別れです。 又内地でどなたかとお会いできるでしょうか それが心配でたまりません。 どうか神様、もう一度で良いですから 皆にお会い出来るようにお願いします。
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2008年10月10日
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