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光畑京子の「終戦日記」(十六) <久しぶりの登校> 昭和20年(1945年) 【8月29日 水曜日 晴れ】 海軍の特別サービスによって、 今日「いたづら小僧」という映画を見学に行きました。 それはとても愉快な映画でした。 短編で働く者の体育というのがありました。 その映画は色々の工場で働いている人は どういう風に体及び体操をしたらよいかというのです。 私はこの映画を見て第一に感じたのは 常に大井先生がおっしゃっていられた 「姿勢に気をつけよ」というお言葉でした。 そして働いた後には必ず軽い運動をやることが大切だと思いました。 ↑青島の水兵さん。大阪の伊藤さん提供。 【8月30日 木曜日 雨】 今日は休みの第二日目の行事として 先ず最初に自分の机の整理をしました。 不要なものは全部焚いてしまいました。 自分の机を整理する位気持ちの良いものはありません。 つくづく感じました。 雨が降ってとても鬱陶しい一日でした。 【8月31日 金曜日 雨】 又今日も昨日と同じような嫌な天気でした。 昨日の続きを又しました。 そして10時頃から始めて午後の3時頃すみました。 母からあまり呑気すぎると言われました。 明日出校日なのにこんなに雨ばかり降り続いて 本当に嫌になると思いながら報道に聞き取れていると、 明日雨が降った場合は2日に延期されると ラジオが言ったので嬉しくなりました。 学校に行く時はやはり青空を仰ぎながら みんなで愉快に休み中の出来事を話すのが楽しかったからです。 【9月1日 土曜日 雨のち晴れ】 又今日も一昨日からの続きの雨が降っている。 せっかく楽しみにしていた出校日もだめになってしまう。 本当に残念でたまらない。 午後からは少し小降りになって 夕方頃から青空が仰がれるようになる。 明日学校に行く事が出来るかと思うと嬉しくてたまらない。 夜庭へ出て空を仰ぐと 色々さまざまな色や光を持っている星が、 明日の出校を共に祝ってくれるような気がしてならなかった。 ↑青島高女跡(現青島大学医学院) 【9月2日 日曜日 晴れ(秋晴れの良い天気)】 朝から気持ちよく学校へ行く。 正門の前に立ち、 私達を立派に教え導く校舎に心から頭を下げる。 雨のためにじゅくじゅくになった道を通りながら行く。 四組の人達がいる所へ行く、みんなとても元気でした。 気持ちのよい快い朝の挨拶をすませて 今までと言っても三日間の楽しい思い出にかかる 色々な馬鹿話に興味を持って腹をかかえて笑っている。 私は急にはっと思いました。 これが敗北した日本国民なのかと思ったからです。 いよいよはじまり、 整列してから神社参拝に出発して拝礼をすませてから、 神社の御社の御前で一学期の終わる式を行いそれから学校に戻る。 校長先生のお話は、 中学校と女学校は当分の間授業が出来ないから、 家にあって自分で自分を修行するようにと言うお話でした。 そして校則にそむいた者は退校させるかもしれないと おっしゃっておられましたから、 私はこの御言葉を立派にまもって行くつもりです。 【9月3日 月曜日 晴れ】 今日は朝からお父さんと二人で麺粉の配給のお手伝いをする。 午後から旅順にいらっしゃった鍋井さんのおじさんがいらっしゃる。 おじさんは2月に大阪と神戸に行っていらっしゃったそうです。 そしてその話をしてくださいました。 私はそのお話を聞いた時に、何かこみあげてくるのを感じました。 今日は頭が痛いので早くから寝る。
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2008年09月10日
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