青島満帆

戦争は、勝った側も負けた側もこんな馬鹿馬鹿しいことはない」黄瀛

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秦の始皇帝も見た!蜃気楼


<青島の蜃気楼と徐福伝説(二)>

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↑青島フェリー乗り場。黄島(開発区)、薛家島行き。




奏の始皇帝と徐福との出会いは一見奇異に見えますが、

歴代皇帝が史書編纂の手本とした最初の歴史書『史記』に前後四回も記載されており、

この書は徐福渡東の時期の僅か百年後に、

著名な大歴史家・司馬遷によって執筆されたものであり、

その信憑性はかなり高いものとされて来ました。

さらに近々20年間に徐福実在を裏付ける数々の伝承や遺跡、家系図などが発見され、

我が国にも佐賀県伊万里市、

和歌山県新宮市など徐福渡来の伝承地は数多くあり、

各地に徐福祠が建立されており、

とくに新宮市には徐福の墓碑、徐福顕彰記念碑、徐福公園などが集中して建てられ、

徐福一行は農耕(稲作)、漁法、捕鯨、紙すきなどの技術を

この地に伝えたと言われております。

これらのことなどから、

現在では中国の歴史家の間でも徐福伝説は間違いのない史実とされ、

徐州師範大学の羅其湘教授を始め著名な徐福研究家が多く輩出し、

中国主要都市は勿論のこと日本各地、韓国、台湾、香港、

さらにはシンガポールなどにも「徐福研究会」が設立され、

その相互交流も盛んに行われております。

    ■   ■   ■

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↑海から見た青島の街。小青島(加藤島)付近。2007年5月



ところで、この「徐福伝説」には、誰しもが疑問に思うことかあります。

一回目の東方巡幸で、

いかに生まれて初めて海と言う広大な世界を見て

強いショックを受けたかも知れませんが、

異常なほどに強い精疑心の持ち主と言われた奏の始皇帝が、

なぜ虚言に近い徐福の進言をやすやすと信じ、欺かれたのだろうか?

と言うことです。

徐福研究家の中には、

徐福は当初から渡航先での永住を策略し再帰国の意志は毛頭なく、

明らかに始皇帝に対する詐欺的行為であるとし、

徐福を大ペテン師と酷評する声も少なくありません。

最近、この謎を解く鍵として再浮上した説が、

「始皇帝は徐福の言う東方三神山を或いは蜃気楼で見たのでは」

と、言うものです。

当然、徐福自身もこの東方三神山を蜃気楼で思いついたのでは…と、

されております。

山東半島の北端に“蓬莱”と言う港町があります。

東方三神山の名前の一つでもあるこの町は、

徐福船団の出航の地としての伝説も残っておりますが、

一方、古来から蜃気楼の名所として知られており、

この蓬莱沖に現れる蜃気楼は他では決して見ることのできない、

スケールの大きなものと伝えられております。

また古書によれば、

山東半島の沿岸部全域も昔から蜃気楼の良く見られる地域とあります。

しかし、実際に蜃気楼を見られるのはごく僅かな幸運な人に限られ、

さらに、蜃気楼が現れるのは数年に一度のこと、

ここ蓬莱で1980年代の10年間で蜃気楼の出現が記録されているのは、

81年7月14日、

84年7月29日、

同じく85年7月29日、

そして88年6月17日

のわずか4回に過ぎません。

済南市にある山東省電視台(テレビ局)では

何とかこの巨大蜃気楼の姿をテレビカメラに収めるべく、

1986年から取材チームを蓬莱に派遣しチャンスを狙っておりましたが、

ついに貴重な蜃気楼の撮影に成功しました。

80年台最後の88年6月17日に現れた蜃気楼です。

イメージ 3

↑瑯琊台の案内文




この映像テープは、その後、

中国を取材で訪れたNHKの「始皇帝」取材チームに寄贈されましたが、

これを見た関係者の言によれば、

つい先ほどまで何もなかった筈の水平線上に、

忽然と島の幻影が浮かび上がり、

その輪郭は奇妙にくっきりしていて確かに実在の島と見間違うほどで、

島は一つであったり、三つになったり

変幻自在に姿を変えて行くとのことでした。

蓬莱から見える蜃気楼には、煙突の立ち並ぶ工場地帯が現れることがあり、

それは明らかに海を隔てて280km離れた対岸の大連の風景とのことです。

『史記』によれば、

始皇帝は最初の東方巡幸のとき、“黄”と言う町を通過したと記されております。

“黄”とは蓬莱の昔の地名であり、巡幸のルートをたどると、

始皇帝が初めて海と出会った場所は蓬莱であったと推定されます。

ここで偶然にも、東方の海上に蜃気楼による島々の幻影を望見したとするならば、

始皇帝が「東方の三神山」を何の疑いもなく信じたとしても不思議ではありません。

イメージ 4

↑秦の始皇帝像



始皇帝は、

三方の海を一望の元に見下ろすことのできる「瑯琊台」の高台が大変に気に入り、

直ちに離宮の造営を命じて東方巡幸の度に三度も訪れ、

あるときには三ヵ月も滞在したと『史記』に記述されております。

或いはここから、再度の蜃気楼―東方の三神山―の展望を期待したのではないかと、

私は推測しております。

又々余談となりますが、

現在この「瑯琊台」には民間人の立ち入りは許されません。

何と、中国人民解放軍の主要レーダー基地として、

三方の海に睨みを利かしているのです。

始皇帝がこよなく愛したこの高台が、

二千二百年後の今もなお中国国防上の重要拠点になっているとは、

兵馬俑に守られた始皇帝陵に静かに眠る始皇帝も、さぞかしご満悦のことでしょう。

そして、今ここに勤務している人民解放軍の兵士達は、

始皇帝が待ち望んだ(と思われる)東方の三神山、

すなわち日本列島などの島影を、

日夜レーダーの画面で単調な日常業務として

堪能しつつ眺めているのではないでしょうか。

今ここが、始皇帝ゆかりの地であることを物語るものは、

レーダー基地に通じる道の傍らに建てられた『瑯琊台遺祉』の石碑のみです。

(蜃気楼のお話、さらにつづきます)


イメージ 5

↑青島地図。下辺左方の岬に瑯琊台がある。

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