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光畑京子の「終戦日記」(十九) <空にグラマン戦闘機、街は銃声飛び交う> 【9月19日 水曜日 晴れ】 今日、書道の時間の時にならったのは、 人の短所を言うよりも先ず最初に自分を顧みよ、 という意味の語でした。 本当にこの言葉は一番人間に大切な言葉だと思いました。 私達の級の幹事は三宅さんと吉田さんでした。 お二人ともきっと四組のために立派な行いをしてくださることを 心の中でお願いしました。 そして私達も幹事さんにお世話をやかせないように 協力していけるようにこの事もいっしょに願いました。 ↑校庭の階段で記念撮影。青島高女昭和19年卒業記念アルバムより ↑現在の階段 【9月20日 木曜日 晴れ】 中秋節なのに今晩は月が出ずに 却って雨が降ってきました。 妹達は「あまり中国人が騒ぐからだ」と言って よろこんでいました。 【9月21日 金曜日 晴れ】 今日、数学の時間に白浜先生が、 我が国がどういうわけで負けたかということを お話してくださいました。 (1) 上の役人があまり国民の意見を取り上げてくれなかった。 (2) 戦闘には勝ったが、経緯やいろいろその外の戦いに負けた。 (3) 科学に負けた。 (4) 技術にも負けた。 (5) 商売(支那と)に負けた。 未だその外いろいろのことに負けたのである。 でもこれからは頭を切り替えて 我が国再建のために努力するのであります。 【9月23日 日曜日 晴れ】 今日はじめてアメリカの水兵を見た。 午後から鈴木さんと二人で被服をする。 夜、高足おどりを見ました。 先生へ、 私はきっと先生と生徒が一致して離ればなれにならぬように 工藤先生のお教え立派にまもってまいります。 そして朝、神様の御前でお祈りする時に 日本再建とこの事をお誓いします。 【9月24日 月曜日 雨のち曇りのち晴れ】 今週は親切週間と定まる。 親切が大事だと思います。 又人に親切されたりしたりするのも大変気持ちの良いものです。 私は大いに今週を親切で話そうと思います。 今夜は停電したので少ししか書けませんでした。 この頃はめっきり秋らしくなる。 【9月25日 火曜日 晴れ】 今朝起きるとすぐ庭に出てみるとひやりと冷たく感じる。 本当に涼しくなった事がつくづく感ぜられる。 新聞を見ると、鈴木大将の私邸が軍人や学生に焼かれたと書いてある。 私はこの人達は早く頭を切り替えて、 新日本再建のために努力したらと思いました。 今日の親切。 1、 糸をあげる(忘れた人がいらっしゃったから) 2、 三年生の方の鉢巻がどろどろに汚れていたから洗って明日返す。 (これは講堂裏の裁縫室に落ちていた) ↑旧市民体育場(現天泰体育場)での運動会風景 【9月26日 水曜日 雨のち曇りのち晴れのち雨】 今日は5時間目の時は体操でした。 その時に見学していた人が掃除をしてくださったのは嬉しく感じましたが、 お掃除が出来る位ならば体操をしたらよいのにと思いました。 前に大井先生がよく 「見学というものも一つの授業であるから しっかりとそれを頭に入れておかねばならない」 とおっしゃったことがありました。 そのことがふいに頭の中に浮かんだからです。 夕方、吉田さんから明日治安が悪いから休むと言って電話がかかってくる。 本当におきのどくですね。 【9月27日 木曜日 曇り】 今朝起きて顔を洗う。すっかり眼が覚める。 明るくなった外では雀たちが 朝の寒さとすがすがしさとに身をふるわせて鳴いている声を聞きながら、 私は宮城を遥拝し、家の神様や仏様を拝みます。 柏手の音。心身を清める神々しく爽やかな音です。 心の中ではしっかりと我が国再建をお誓いします。 そしてそれから、庭の掃除に取りかかる。 気持ちの良い朝風が私の頬をすーっと撫でて行く。 本当に気持ちの良い朝です。 ↑第一公園(現中山公園)へ遠足風景。青島高女昭和19年卒業記念アルバムより ↑現在の中山公園 【9月28日 金曜日 高曇り】 昼食後みんなで親睦会を行いました。 とてもとても楽しかった。 早く私の番になるのが楽しみです。 【9月29日 土曜日 晴れのち曇り】 今朝学校に行く時、 アメリカの飛行機グラマン戦闘機が何十機となく飛んでいきました。 夜、停電したので早くから寝る。 11時ごろ銃声が八発聞こえた。 私はいつも銃声を聞く度に、 早く治安がよくなるように神様に祈らずにはおれません。
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2008年09月28日
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