|
光畑京子の「終戦日記」(十五) <曲阜からの引揚者でいっぱい> 昭和20年(1945年) ↑旧青島日本高等女学校校舎 【8月25日 土曜日 雨のち晴れ】 終礼の時に澤田さんが挺身隊の仕事は今日が終わりであると言われる。 私はその言葉を聞いたとき、たとえようもない気持ちで一杯だった。 こんなになるのもみな残虐極まるアメリカのためなのである。 今も20時の報道で聞いたのによると 人道に背いて原子爆弾を用いて広島市に及ぼした損害は、 実に総人口20万人中死亡者は約6万人に及び、 負傷者は16万人という人員に達しているのである。 なお、そのあとからぞろぞろと死亡者は増えるばかりだそうである。 帰りに学校に出席簿つけに行くと、 チーフー(曲阜)から来た人で一杯であった。 鉄砲の中をくぐって避難してこられた人達ばかりで、 小さな可愛らしい子がたくさん寄り集まって、 歌を唄いながら遊んでいる様子は何とも言えませんでした。 きっと何も知らないのでしょう。 私は青島の人は幸福だとつくづく感じました。 それでもまだまだたくさん沿線付近からいらっしゃるそうです。 今日から義兄さんと姉ちゃんと浩子ちゃんが引っ越していったので 淋しくなってしまいました。 いる時は赤ちゃんはうるさいと思いましたが いなくなるととても淋しい。 どうぞ神様これからの日本を御護りください。 心からお願いいたします。 午後11時記す。 私の好きな歌。 何事のおはしますかはしらねども かたじけなさに 涙こぼるる。 【8月26日 日曜日 晴れ】 全校招集日 今日は日曜であるけれども学校に行って 配給を受けたり、学用品を戴いて帰る。 こんなにたくさんいただいたけれども これを使えるようになるのはいつかと思うと 胸の中は一杯になります。 そしてまた9月10日から授業が始まると言われていたのに、 また延期になると言われてがっかりしました。 でもこれも皇国のためですから じーっと我慢をすることが一番の御奉公のように思われますから、 私は弟妹と3人で独学をする決心です。 【8月27日 月曜日 晴れ】 今日は女子挺身隊の解散式が行われることになっていたが 明日に延期されることになった。 そして午後からは演芸会が催された。 色々の歌を唄ったり、ハーモニカの独奏をしたりして、 とてもとてもそれはにぎやかでした。 特に面白かったのは尾島さんでした。 最後に元寇の歌と軍艦行進曲と海ゆかばを 全員で合唱して閉会しました。 入隊して以来大変楽しかった。 ↑旧日本海軍基地跡の建物(現海軍博物館) 【8月28日 火曜日 雨のち晴れ】 いよいよ解散式が行われる。 とても残念でたまらなかった。 そして参謀の方のお話は、 1、 海軍精神を忘れぬこと。 2、 敗戦したけれども私達現地の者は日本人であることを常に忘れぬこと。 3、 正しくそして立派な大和魂を私達子孫に伝えること。 4、 男子女子ともに我が国復興に一生懸命になること。 5、 現地青少年の体はまだ健全であるから内地の人以上に一生懸命やる。 6、 女子は将来子女を教育すること。 の以上でありました。 私はどんなことがあろうともこのお言葉は一生忘れぬつもりです。 そしてそれにお答えして中学校側から代表者が出て答辞を読みました。 それで解散式を終わり、 その後で皆で楽しく茶話会を開きました。 明日は海軍から特別に映画をしてくださるそうです。
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]




