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20年前の写真。追加 20年前、戦後初めて訪れた青島は、 何もかも44年前のままでしたから、 「ああ、ここが私の生まれ故郷なんだ」 という思いを強くしたものです。 先日公開しました写真のほかに、 一緒に行った姉が持っていた写真がありましたのでご覧ください。 まず、再開発で取り壊し寸前の市場(人民市場)の写真です。 周りの建物はすでに取り壊され、市場だけが残っています。 そのためこの角度から写真が撮れました。 恐らくこちら側から撮った市場の写真はほかにはないでしょう。 貴重な写真だと自慢できます。 ↑戦前から市民に親しまれていた市場。 周りの建物はすでに取り壊されている。 次ぎの一枚はその市場の前のにぎやかな通りです。 こんなに賑わっていた市場通りですが、 再開発以後は一挙に寂れてしまいました。 それに伴って中山路(旧山東路)も見る見る人通りが減り、 再開発が成功した台東鎮に盛り場の王者を奪われました。 中山路と丁字路で結ぶ膠州路も空きビルが目立ちます。 巷では、中山路が寂れたのは 「風水のせいだ」 と、もっぱらの噂だそうです。 つまり、人民市場を取り壊した崇りが中山路を衰退させた、 日本で言えば「方角が悪かった」ということになります。 ↑こんなに賑わっていた市場通り。 今、青島市の市北区政府は中山路の活性化に取り組んでいます。 その一つが「劈柴院」の復元ですが、それは次回にご報告します。 3枚目の写真は博興路小学校の運動場です。 私が住んでいた家が小学校に変貌していたのですが、 この写真を見て、改めて我が家の庭が広かったのだなあと感じました。 入り口は博興路側にありましたが、 細長い庭の奥の塀が楽陵路に面しているのが見えます。 ↑博興路小学校の運動場。右側の校舎は後で建てられたもの。 右側の奥に中国人(アマ一家)の家があった。 左側の奥に屋根だけの倉庫があった。 奥の塀の向こうに楽稜路が見える。 最後の写真は周村路の路上で撮ったものです。 確か、道端で遊んでいたかわいい女の子の写真を撮って、 その子のお母さんに送ってあげるために住所を聞いているところです。 この辺りは再開発されて今はアパート街になっていますが、 第一小学校に近いところで、 私にとっては懐かしい通学路でした。 ↑周村路の路上で。この奥さんに写真を送ったが届いただろうか。 |
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2009年02月09日
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