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日本人が住んでいた家(安西篤子さん旧宅) ↑龍口路36号、安西篤子さん旧宅。 前回は中島道子さんの旧宅をご紹介しましたが、 中島さんは女学生時代のことを、 「安西さんと対馬さんは、毎朝あの門のところから 『中島さーん!』 と呼んでくださって、三人仲良く語らいながら通学したものです。」 と、懐かしく思い出されてメールをくださいました。 中島道子さんはまた、 安西篤子さんの著書「黄砂と桜」の紹介記事を、 青島中学第25期生同窓会誌「魚山」に書いています。 ここに転載させていただきます。 △ △ △ <図書紹介> 「黄砂と桜」安西篤子著 徳間書店 本体1600円 戦時中の一時期、中国大陸の各地で過された安西篤子さんが、 それぞれの都市の生活や風土、そして当時の日本人社会を、 治子という名の少女の視点から書かれたいわば自伝小説。 中でも、三分の一を占める「青島」が描かれている。 第五章 緑陰の街 第六章 朱瓦の街 の項を読むに至っては、60年という歳月を遡って、 当時を彷彿とさせるものがあり、 懐かしさ一杯で胸ふさがる思いが致します。 第二小学校六年から青島高女二年まで、同じクラスに学び、 登下校を共にしたその頃の、何の濁りもなく、 それこそ清純そのものだった少女の頃を 思い出せてくれる一冊でした。(中島道子) ――「黄砂と桜」あとがき―― ここに集められた物語の主人公は、 中国大陸の四つの都市(天津・上海・営口・青島)である。 ・・・・日本と中国のかつての関係にしても、 後世になればなるほど、歪められていくように私の目には見える。 ある時代に、こういう場所でこういうことがあったと、 早く書き残しておきたい、と考えるようになった。(安西篤子) △ △ △ ↑正面から見た安西邸 その安西篤子さんの旧宅は湖南路と龍口路の角にあります。 お父さんは横浜正金銀行青島市店長でした。 (内藤道久さんの「私の趣味と青島美女物語」をご参照ください) つまり、この邸宅は “横浜正金銀行青島市店長社宅”ということになります。 昔はテニスコートがあったと思われる広い庭に、 車がたくさん止まっていました。 我が探訪隊は図々しくその中に車を乗り入れ、 M田さんが何かを訊ねる振りをして私は写真を撮り始めました。 広い庭は洗車場になっていて、従業員のお兄さんたちも 我々の行動をただただ傍観するのみ。 M田さんはこの豪邸の玄関前に立ち、大声で家人を呼びます。 ↑安西邸玄関。 ↑玄関を入ると広いホール。 やっと出てきたおじさんに訳を話して中に入れてもらいます。 玄関を入ると広いホールです。 そのホールも広すぎるのか半分に仕切って向こう側は見えません。 右側に立派な階段があります。 ↑ホール右側に階段。 この広い屋敷に住人は一世帯だけ。 住宅難の青島では考えられない優雅さです。 しかし、この豪邸の運命もあとわずかです。 数年のうちに取り壊されるそうです。 このおじさんも立ち退きを迫られているとか。 見学されるなら今のうちです。 ↑安西邸の東側。 |
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2009年04月30日
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