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武藤直大の「サハラ砂漠への道」(三) <この記事は、 久々に武藤さんから届いた旅日記です。 気の合った女友達と念願だったサハラ砂漠へ向かいますが、 次々に起こる難題に四苦八苦。 やっと探し当てたホテルの空室は1室だけ。 しかもダブルベッドが一つ・・・。 70代の青年・武藤直大が挑むアラブの壁。 お楽しみください。> ↑マケラシュには色々な顔がある。 これは広場周辺のきれいな公園。 ■ フナ広場の幸運 泊まると決めた。 しかし暗いといってもまだ8時前だ。 このまま、本も読めない薄暗い部屋に、 2人こもりっきりで朝まで過ごすのは余りにもきつい。 今、頼れるのは宿の主人だけである。 「近くに食事するような所はないの?」 「あるよ。ここからすぐ近くにフナ広場がある。いっぱい屋台が出ているよ」 「えっ!」 実はその広場がマラケシュに来た目的の一つでもあった。 ガイドブックによると、 「東京ドームほどの広さで、世界一の屋台集団がある」。 しかし私たちはこの暗い迷路の中で、 自力ではどう行ったらいいのか見当も付かず、諦めかけていたのだ。 主人に教えられた暗い迷路を恐るおそる歩いていくと、 4、5分で喧騒が聞こえ、上空が明るくなっている。 「なんだ、もう迷路の出口に近かったんだ!」 フナ広場は、野球場ほどの広さの中央に 何百軒もの焼き鳥や、魚フライ、ゆでたカタツムリ、 ジュースなどの屋台がひしめき、 周りは飲食店や衣類、革製品、みやげ物などの商店が立ち並ぶ。 ↑フナ広場の屋台。焼き鳥、揚げ物が多い。 大体において安いが、注文の仕方でボラれる。 空き地ではローソクの光の中で、笛を吹き鳴らす蛇使いや、 太鼓や鐘に合わせて踊り回る大道芸人たちが客を集めていた。 “何を食べようか”と物色して歩いているうちに、 周囲の店の並びに「HOTEL」の文字を見つけた。 外観はさっき仕方なく決めた迷路の中の宿よりも大きい。 「行ってみよう」 空いてなくてもともとの気持ちだったが、あった。 部屋はかなり広くて大きなダブルベッドが二つ。 シャワーのお湯が出るのも確かめた。 “助かった” 即刻決めた。 500ディラム。前の300ディラムより少し高いが、段違いにいい。 すぐ迷路の宿に取って返す。 「それはないよ」 と大げさな表情で文句を言う主人を、キャンセル料50ディラム払ってなだめ、 荷物を持って“新居”に戻り、この日初めてほっとした。 二人とも“貞操の危機”は脱することが出来た。 ↑オバさんたちはこういう格好が代表的で、 写真を撮られるのはあまり好きではない。 これはこっそり・・・。広場周辺の公園で。 しかし「一難去ってまた一難」。 夜遅くなってかなり冷えてきた。 エアコンはあるのでスイッチを入れたが動かない。 フロントに行って親父さんを呼んで来た。 いろいろやっていたが素人だから直せない。 20分ぐらいカチャカチャやってから、 「後でテクニシャンをよこすから」 と帰ってしまった。 テクニシャンというのは技術者のことらしい。 実はこの言葉を聞くのは2度目だった。 カサブランカの宿でも同じ事があって、 その後いくら待ってもテクニシャンは来なかった。 私たちが来た時期が寒くなり初めで、それまでエアコンは使っていないから、 どのホテルも点検整備がされてなかったのだ。 震えながらシャワーを浴び、ベッドに飛び込んだ。 この日は駅前のタクシー争奪戦から、全く知らない場所で置き去りにされ、 迷路の中の宿探しと散々だった。 ↑フナ広場の周囲にあるカフェ。 ぼんやりと広場の喧騒を眺めながら過す。 砂漠に到達する最初の計画では、 ここから路線バスを乗り継いで7、8時間の街ワルザザードで一泊、 そこからさらにバスで5、6時間走ってザゴラに着く。 そこを基地にして砂漠に向かう積もりだった。 それが第一歩でこの有様だ。 もっと奥地に入ったらどうなることか。 今夜はやっと広いベッドに一人で寝ることが出来たが、 これから先の保証はない。 何でわざわざ、こんな苦労をしなければならないのか、 前途の困難が予想されて憂鬱になった。 “まぁいいや、自分で決めたんだから、いつでも止めりゃいいんだ” ↑迷路の中にもちょっと高級なモロッコ風レストランがある。 食べているのは定番のタジン。野菜の下に巨大な羊肉の塊がある。 手前の三角帽子は陶器の皿のフタ。 (つづく)
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2009年01月23日
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