|
武藤直大の「サハラ砂漠への道(五) <この記事は、 久々に武藤さんから届いた旅日記です。 気の合った女友達と念願だったサハラ砂漠へ向かいます。 次々に起こる難題にうんざりしているところへ、 日本語の上手な若者ガイド4人に出会います。 さて、モロッコの若者達が勧める“砂漠ツアー”は安全か? 迫られる武藤直大の決断や如何に。> ↑マラケシュの小さな美術館の絵。現地ではこういう人を見ながら、 信用できるかな? と考えるわけです。 こうして2日間過ごし、少し元気は取り戻したが、 未だ自分の交渉力に自信は持てず、 予想される前途の難儀についてウンザリした気分は消えなかった。 街の見物から帰って、 夜の時間を宿の近くのカフェで甘いモロッコティーを飲んでいると、 隣で小沢女史が笑ってうなづいている。 その視線の先で4人のモロッコ人若者グループが手を振っている。 「こちらに来ませんか」 驚いた。流暢な日本語で声を掛けてきた。 ↑砂漠に行くには、こんな高い山を越えて・・・ 「日本語がうまいですねぇ」 「私たちは皆、日本人ツアーのガイドです。あなた方も楽しんでますか」 「楽しいけれど心配や苦労も多いね。 これから砂漠に行こうと思っているんだけど、 自分たちだけでは、かなり大変そうですね」 「あ、それは難しいです。言葉が通じないし、習慣も違うから」 「そうですよね。ここまで来るにも迷ったり、宿がなかったり・・・。 だけどね、僕たちは、豪華な砂漠ツアーに入って、 初めから終わりまでガイドさんの言われる通り “ハイ、ここが砂漠です” “ハイ、時間ですから帰りましょう” とやられるのが嫌なの」 その意味が分かるかどうか危ぶんだが、感じていたことを言ってみた。 ↑車は1時間に1台も通りそうにない山頂で こんなものを売っているから不思議。 「そういう人にもいいツアーがありますよ。 安くてあまりお世話はしないけど、内容はあります。 砂漠の中のテントにも泊まって、ラクダにもたくさん乗る。 2泊3日で朝夕食がついて1万円ぐらい。これは価値がありますよ。 他のツアーなら3万円から5万円します」 どうしようかと迷っているところに、 降って湧いたように現れたいい話である。 しかし、余りにタイミングが良く、話がうま過ぎる気もした。 ガイドブックには、 「親しげに近づいてくる日本語ガイドには要注意。 お金を取られたり、とんでもないところに連れて行かれる恐れもある」 と書いてあった。 正にその場面である。 ↑砂漠に行くにはこんな谷底も通る。 巨岩が川に削り取られてこの絶壁になるのに何億年かかったのか。 「あなた方は日本語がうまいですね。どこで習ったの」 「それぞれ違いますけどね。私は四国の高松の学校で勉強しました」 「東京や大阪じゃなくて、そんな地方でね」 「生活費が安いから。習うことは同じでしょう」 「私はモロッコの大学で習って、日本の旅行会社に入りました」 皆ニコニコと屈託なく話している。 これは信用していいなと思った。 もうこんなチャンスはないだろう。 逃がしたらまた厄介な旅を続けなければならない。 ↑旅の途中でよく食べた家庭料理クスクス。 敷いてある粒状の麦に、野菜と羊、鶏肉の煮込みを乗せ、 いろいろな香辛料をかけてある。おかず兼主食になる。 確証があるわけではないが、 そこは70年以上生きてきた当方の“人を見る目”の直感である。 お願いして、その砂漠ツアーをやっているホテルに案内してもらった。 窓口で、どんな客と一緒になるのか聞くと、 ほとんどがヨーロッパの若者たちだと言う。 行くのは土と石の荒野的な砂漠ではなく、 純粋に砂だけの砂丘が連らなる砂漠、ということも確かめた。 しかし、途中はどこを通って、どうすると説明するパンフレットがない。 欲しいと言ったら、 プラスチック板に挟まれた古びた写真入りの説明書を見せられた。 印刷代まで節約しているらしい。 見るとかなりの強行日程のようだった。 ↑途中で泊まったホテルの食堂には暖炉があったが、 寝室にはなくて震え上がった。 この太ったオバさんは、最後のラクダのコースでリタイヤした。 (つづく)
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2009年01月29日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]


