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青島第2小学校の卒業写真 ソウルの金さんから送られてきた写真の中に、 第二小学校の卒業写真と卒業生名簿があります。 私は第一小学校の卒業ですからほとんど名前を知りませんが、 羊会という同窓会のおかげで知り合いも出来ました。 ↑青島第二日本小学校卒業写真(昭和19年3月)。 写真:ソウルの金さん提供。 羊会の有名人といえば大作曲家・故中村八大さんがいます。 八大さんは2列目の右から4人目。 目の辺りに面影がありますね。 この少年が後に日本の歌謡界を熱狂させた中村八大です。 私のブログに「昭和ひとけた戦中記」という名作を書いていただいた 武藤直大さんは最後列の右端です。 「週刊サンケイ」の編集長として健筆をふるわれました。 中学一年生のとき力自慢の若い兵長と相撲を取り、 一歩も引かなかったという立派な体格が目を引きます。 先日ブラジルから突然青島を訪れて私を驚かせた 鈴木(峰村)正威さんは最前列右から5人目。 いかにもやんちゃな風貌ですが、 ブラジル在住50年、今やブラジル日本人社会の重鎮です。 ブラジル移民史を飾るにふさわしい活躍ぶりです。 4列目の左から3人目が薮本和男さん。 高校を卒業するとプロ野球の大映スターズに入団。 頭脳的ピッチャーとして名を馳せました。 3列目の右から5人目が緒方良三さん。 私と同じく青島中学の受験に失敗し1年間高等科に在籍していました。 まじめな少年でしたが、武藤さんからのメールによると、 「緒方君は家が近くてよく遊びに行き、釣りの仲間でした。 昭和30年初め頃、東京の霞ヶ関でばったり。 何と警視庁のお巡りさんでした。 宿舎に遊びに行ったら、 警官仲間内では「スマートなやつ」で通っていました。 以後会っていないけど、いいところまで行ったと思いますよ。」 写真の最後列中央が柳田校長。 左が担任の原田先生。 右が教頭先生です。 ↑同第二小学校卒業生名簿。 写真:ソウルの金さん提供。 また、この写真の中にはいませんが、卒業者名簿を見ると、 やはり青島中学に落ちて高等科にいた 河地肆さんを思い出します。 90年ごろ東京駅八重洲口の喫茶店で会いましたが、 彼は三重県四日市でラーメン屋を経営し、 北京でカレーライスの店を開く準備を進めていました。 私もその頃、中国語の勉強でたびたび北京を訪れていましたので、 彼の店でカレーライスを食べるのを楽しみしていました。 ところが間もなく、北京の中国人の家で客死したという知らせが入りました。 残念ながら北京で彼の店のカレーライスを食べる夢は消え失せました。 そしてもう一人、高等科1年から私と一緒に北京の電気通信学院に進学した 石山行雄さんがいます。 敗戦で引き揚げのとき、彼も私と同じ群馬県の親戚の家に行くというので、 北京からずっと行動を共にし、高崎駅で別れました。 体が大きく、へ張り気味の小さい私をよく助けてくれました。 その後、大阪からはがきが来たのを最後に音信は途絶えました。 私たち世代の戦後の人生は波乱万丈。 一枚の古い写真からさまざまな思い出が蘇えってきます。 ↑同第二小学校校庭。 写真:ソウルの金さん提供。 |
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2009年11月03日
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