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“終戦秘話” 私の八月十五日 ―終戦前後10日間の回想― (終) 内藤道久 <この記事は、青島日本中学第25期生同窓会誌「魚山」第34号から 転載させていただきました。 筆者はこのブログではお馴染みの内藤道久さんです。 いよいよ今回が最終回。 学徒勤労動員から開放された筆者はどこへ行く。 どうぞご愛読ください。> ↑北京市内西単付近地図。(1994年発行の北京市内地図から) ◆ 最後の朝の感動 8月18日朝、 豊台の原隊から迎えのトラックが来て 我々報国隊員に対する原隊復帰命令が伝えられ、 直ちにそのトラックに乗り込み豊台に向かレましたが、 その途中我々を待ち構えていたのは、 何と民衆からの「東洋鬼子!」の罵声と投石でした。 支廠に着くと、翌19日付けでの動員解除と学校までの送還が告げられ、 早速二ヵ月間お世話になった糧抹部現場事務所、 本部糧抹部などに挨拶に廻りました。 10日ぶりの支廠構内でしたが、 まず驚いたのがある特定の倉庫の前の長蛇のトラックの列でした。 百台以上が連なっているのです。 特定の倉庫とは清酒・ビール・酒保品などの貯蔵倉庫で、 そのトラックの多くは第一線部隊から来ているとのこと、 中には張家口付近から 片道7、8時間かけて来た車もあると聞き驚いたものです。 「敗戦と兵士と酒」、 何だかあの前々日の体験から身につまされる光景でした。 現場事務所からの帰路、突然、爆音が轟き、 何事かと空を見上げるとアメリカ空軍の双発爆撃機B-25二機が低空で飛来、 アメリカ兵捕虜収容所の上空で物資の投下を開始、 次々とパラシュートが花開いておりました。 この捕虜達もアメリカ軍総司令部から届いた緊急指令により、 翌19日には市内の最高級ホテル・北京飯店に移されるとのこと、 収容所での“最後の晩餐”に間に合うように 多くの食料品、酒肴類のほか軍服、星条旗までが投下されたらしく、 アメリカ軍の組織力に感心させられました。 この夜は我々報国隊員にも適量の酒肴品が特配され、 原隊残留者の段取りで我々の帰隊歓迎と別れの宴が 内務班毎に賑やかに催されました。 翌日学校まで送られ、即日解散となれば それが永遠の別れになると言う思いが各自の胸にあったからです。 宴の席上、 入隊時に愛用のハーモニカを持参していた天津商業出身のN君が、 数々の流行歌、軍歌を吹奏かつ伴奏してくれ場を盛り上げてくれましたが、 その中であのアメリカ軍の起床ラッバも見事に吹奏し、 ヤンヤの喝采を浴びておりました。 この起床ラッバ、残念ながら終戦の翌朝から聞かれなくなったとのこと。 終戦で就労の義務もなくなり、 日本軍の規律(起床時間)に従うこともないと言うことだろうなあ・・・ と皆で推測したことでした。 しかし我々のように各地の分遣隊から帰隊した連中は 「もう一度聞きたかったなぁ・・・」 と、皆一様に残念がっておりました。 久しぶりと言うか、初の連日の酒宴でその夜はぐっすりと熟睡、 翌朝は7時前に目が覚めました。 しばらくすると日本車の起床ラッバが鳴り響き、 それが終わると同時に、 何とあの軽快なアメリカ軍の起床ラッバが高々と響き渡って来たのです。 多くの友が開放された窓辺に駆け寄り、 万感を胸にしてこの帝国陸軍基地内で最後の、 そして・・・平和到来後初の・・・ アリメカ陸軍起床ラッパをしみじみと味わい聞いたことでした。 この朝は彼らアメリカ将兵にとっても 日本軍兵営、かつ捕虜収容所での最後の朝・・・ ラストメモリーとしてこの起床ラッパが、 ラッバ奏者の機転か、ボスの配慮で吹奏されたのでしょう。 そしてこの日の午後、 2台のトラックに分乗した我々一行80名は、 再び中国民衆の罵声と投石の中、北京外城の広安門から宣武門を経て、 北京西単・絨線胡同の北京経専に帰校、 約70日間の学徒勤労動員から解放されたのでした。 ○低空にて食糧投ぜしB‥25に アメリカの俘虜ら歓呼して応ふ ○揚揚と「北京飯店」に移りゆく 米兵かざす星条旗あざやか この後、我々青中同期生は キマジメにも北京日本領事館警察署に赴いて青島への退去手続きを済ませ、 北京駅では青島迄の特急乗車券を買い求め、 青島行の列車を待ちましたが、 青島からの北京進学組一行8名(26期生、学院出身者を含む)が 幾多の苦難の末、漸く青島に辿り着いたのは、 何と皮肉にも北京出発48日後の十月十日の国慶節、 すなわち青天白日旗はためく、別名双十節の佳き日?でした。 ◆あとがき 思えば、終戦直前の約2ケ月間を 敵国アメリカ陸軍の起床・就寝ラッバを聞きつつ寝起きしたとは、 数少ない者だけの極めて特異な体験だったのでは、 と懐旧の念ひとしおなるものがあります。 また、あの閉ざされた暗黒の時代に、 微かに光り輝いていた平和への希望の星、 それがあの起床ラッバだったのかも知れないと、 しばしば当時を懐かしく回想しております。 《中国の東大》北京大学進学の夢は破れ去りましたが、 この北京での学徒動員、 さらには敗戦後の北京⇒青島間の苦難に満ちた数々の体験は、 その後の私の人生に多くの指針と教訓を与えてくれました。 私の青春回顧にとって欠かすことのできない“終戦秘話”の一駒でした。 (平成12年8月30日 脱稿) (おわり) ※双十節の解説。 10月10日は中華民国では最大の祭日、「双十節」です。 1911年のこの日、 辛亥(しんがい)革命が始まったのを記念しての祭日。 我々青島人にとっては昭和20年の今日は、 青島にアメリカ軍が進駐・上陸し、山東路(現中山路)を大行進、 中国民衆は晴天白日旗をかざしてこれを大歓迎。 ご記憶にありますか?
実はハリマのミッチイ(筆者内藤氏のこと)は
北京から未だ青島に帰省して居らず、人に聞いた話です。
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2009年11月14日
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