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無棣路で会ったおばあさん 今回の下町探訪は無棣路です。 無棣路4号に峰村氏、5号が松村医院、 6号にIさんが住んでいたことがわかっています。 大まかな見当をつけて熱河路から横道に入ると、 そこが無棣路でした。 ↑無棣路近辺の地図。 M田さんが車から降りて一軒一軒、番地をたどって探しましたが、 無棣路4号、5号の建物はもうなくなっているようです。 あきらめずに先に進むと、 大連路との角に3階建ての古い建物がありました。 そこの2階が無棣路6号甲、 1階が6号乙になっています。 ↑無棣路6号甲、乙の建物。 ↑無棣路6号甲が2階。半地下のような入り口が6号の乙だった。 私が写真を撮っていると、 1階の6号乙の入り口からおばあさんが出てきました。 不動産屋を営んでいるらしく、物件を書いた紙がたくさん貼ってあります。 ↑無棣路6号乙からおばあさんが出てきた。 入り口に不動産の物件を書いた紙がいっぱい貼ってある。 M田さんが、 「昔ここに日本人が住んでいたんですよ」 と話すと、 早速、家の中から小包のような大きな封筒を持ってきました。 日本人から送られてきた郵便物でした。 発送人を見ると、千葉県市川市にお住まいの方です。 ↑お婆さんが持ってきた大きな封筒。差出人は日本人。 私はその封筒の写真を撮って、建物の周りを歩いていると 「足立さん、足立さん」 と、M田さんが呼んでいます。 行くと、M田さんはもう家の中に招き入れられて、 何やらビデオカメラを回しています。 何を撮っているのかと覗くと、 テーブルの上に古い写真がたくさん並べてあります。 「この写真は以前、日本人一家がこの家に来たときのものだそうですよ」 「ほう!」 この家の家族と一緒に、日本人の家族がくつろいでいる写真でした。 そのほか、 この日本人家族がここに住んでいたときのモノクロ写真もありました。 子供たちの名前と当時の年齢、 そして60数年経った現在の年齢まで書いてあります。 ↑ここに住んでいた日本人家族の写真。 このおばあさんがこの家に住み着いたのは5歳のときだそうですから、 当然、日本人は敗戦で引き揚げた後のことです。 お互いに知らない者同士です。 それでも、この写真を、ここのおばあさん一家は、 大切に大切にしまっていたのです。 青島人はほんとうに純朴で、やさしいですね。
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2009年11月24日
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