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滄口の鐘紡工場跡探索。 ↑どこまでも続く鐘紡工場の塀。 西川俊夫氏の案内で滄口の鐘紡工場跡を探訪しました。 どこからどこまでが鐘紡の敷地だったのか、 M田さんの運転する車が行けども行けども塀が続きます。 今も稼動している紡績工場の広さは想像を絶します。 勝手知った西川氏の記憶を頼りにやっと工場の入り口にたどり着きました。 工場の門柱の横に守衛室があり、 例によってM田さんが守衛さんと交渉します。 守衛さんも日本人の訪問をこころよく歓迎してくれました。 ↑やっとたどり着いた鐘紡工場入り口。 入って右側に事務室があり、今も事務室として使われています。 「平日に来れば中まで案内できたのですが・・・」 と守衛さんは言ってくれますが、立派な事務室を外から見るだけでも十分です。 ↑当時の事務室は今も事務室として使われている。 門を入って左側には社員の健康を管理する医務室跡があります。 昔はこの前を通って社宅に通ずる道路があったそうですが、 今は塞がれているというので、 一旦門を出て旧社宅跡に向かいます。 ↑門を入って左側に医務室跡があります。 道路の両側に果物屋などの市が並び、 狭くなった道路を車は進みます。 「ここだ、ここだ。」 西川氏の声に車が右に折れると、 昔も売店だったという市場がありました。 ↑昔の売店。今も売店。 近くに車を止めて社宅の中を歩きます。 西川氏は、 ここは○○さんの家、ここは誰々さんの家、 ここは工場長が住んでいた家、 と、正確に覚えています。 ↑工場長の社宅跡。 同じような建物が並んでいますので、 西川氏でさえ、自分の家がどれだったのか探しあぐねていましたが、 ようやく見つけました。 M田さんが、中にいたおじさんに声をかけます。 すると、 「裏の入り口から入りなさい」 と、ここでも親切な応対です。 ↑西川氏が住んでいた社宅。同じような社宅が並んでいる。 ↑社宅の内部。 裏へ回って門を入ると石炭などを保管しておく大きな物置があります。 そこも、今は人が住んでいます。 西川氏の旧宅も、今は4世帯が住んでいるという狭き住宅。 M田さんと西川氏は二階まで上がって隈なく見学します。 青島市内には立派なマンションが建ち並んでいますが、 郊外の庶民の住宅事情は厳しいようです。 西川氏は更に足を伸ばしていきますが、 まだ歩くのがおぼつかない私にはついて行けません。 先日、「何日君再来」を出版された牧野文夫氏の住居も この近くだったくらしいとのことでした ↑今も昔のままの社宅内の道路。 このあと、 西川氏がこの社宅から通ったという滄口小学校に車を飛ばしました。 滄口小学校跡には、二十二中学の立派な校舎が建っていました。 ↑元滄口日本小学校正門。現在は第二十二中学校。 ↑同校校舎。 広大な敷地に建てられた滄口鐘紡工場は、 来年から取り壊しが始まり、 長い歴史の幕を閉じます。 跡地には市民が楽しめる遊戯施設ができるそうです。 青島市の益々の発展を祈りながら私たちは滄口を後にしました。
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2009年11月28日
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