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百年前の青島の写真 先日、相子さんより古い青島の写真を送っていただきました。 そのうちの何枚かをご紹介しますが、 その前に簡単に青島の歴史を振り返って見ましょう。 1897年(明治31年)3月6日、 ドイツは清国との間に膠州湾一帯の租借条約を締結。 以来、ドイツ東洋艦隊の基地として軍港を構築、 「東洋のベルリン」を目指して市街地の建設に莫大な投資を行いました。 1914年3月、第一次大戦が勃発。 好機到来とばかりに日本も参戦、同年8月、ドイツに宣戦布告。 日本軍の物量作戦の前に、同年11月7日、ドイツ軍全面降伏。 日本は山東におけるドイツの権益をそっくりいただいてしまいます。 さて、写真の最初の1枚は、 「1908年の華人居住区」と説明に書いてあります。 場所はどこなのかよくわかりません。 ドイツが青島における中国人居住地区と定めた場所は、 台東鎮と台西鎮と言われていますから、その辺りかも知れません。 ↑1908年華人居住地区。 2枚目の写真は、 「ドイツ時代の山東路」と書いてありますから現在の中山路です。 ↑ドイツ時代の山東路。 3枚目の写真は、 「ドイツ時代の保定路」とあります。 この保定路は山東路から駅のほうに向かっている道路で、 ドイツ時代は貿易商社などが建ち並んで、おおいに栄えたと思われます。 ↑ドイツ時代の保定路。 次の写真は、 「1911年、青島駅」と書いてあります。 青島駅構内から撮った写真として貴重なものだと思います。 ↑1911年青島駅。 最後の写真は「魚山会」の細田さんから送っていただいたものです。 沖に小青島が見えますから、ドイツ時代初期の桟橋付近でしょう。 開発が始まったばかりの貴重な写真です。 ↑建設中の膠州湾入り口。 相子さん、細田さん、ありがとうございました。
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