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史料を読む(二)―青島中央国民学校 ↑中央国民学校跡。1988年写す。 武定路小学校の看板がかかっていた。 昔、“青島中央国民学校”がありました。 と言っても、この学校の存在を知っている人は少ないでしょう。 この学校は国民学校の高等科だけの学校です。 戦前の学制を知らない人のために説明しますと、 国民学校には初等科(6年)と高等科(2年)がありました。 (小学校と呼ばれていたときは尋常科と高等科) 高等科まではすでに義務化されていて、 さらにその上に青年学校の義務化も進行中でした。 (青年学校については別の機会に書きたいと思います) 青島のように中等学校が多くて恵まれている町では、 小学校卒業後の中等学校への進学は当たり前でしたから、 中央国民学校へ進む生徒は少なかったのです。 何を隠しましょう、斯く言う私も青島中学の入学試験に落ちて、 この中央国民学校に1年通いました。 つまり、この学校は中学浪人の受け皿でもあったのです。 では、この中央国民学校がいつできたのでしょうか。 史料を見てみましょう。 「昭和17年三月二十八日後発 新設青島中央国民学校ヲ三月三十一日附ヲ以テ 在外指定学校トシテ指定許可方至急御取計請フ 尚新設国民学校長ニ 四方日本国民学校現校長林正彦(奏任官待遇者二級俸)ヲ任用シ 其ノ後任ニ青島第二日本国民学校教頭 アナンタカシ阿南高(奏任官待遇者四級俸)ヲ任用シタキニ付 併セテ御許可相成度・・・」 つまり、 昭和17年(1942年)4月より青島中央国民学校を新設したいので、 在外指定学校として至急認可をお願いします。 新設の中央国民学校長には、 四方日本国民学校長の林正彦を任用し、 その後任には、 青島第二日本国民学校教頭の阿南高を任用したい。 ということです。 当時、青島市内には第一、第二、第三の三つの国民学校がありました。 青島の場合、国民学校高等科は第一国民学校に集中され、 第二と第三国民学校には高等科はありませんでした。 昭和17年(1942年)4月、 この史料の通り、中央国民学校が新設され、 第一国民学校にあった高等科がここに移され、 市内三つの国民学校初等科卒業生で高等科に進む者は、 全て中央国民学校にまとめられることになったのです。 ↑青島中央国民学校があった場所。 中央国民学校の校舎は第一国民学校正門前にあり、 廃園になった元加藤幼稚園を改装したものでした。 正面の校舎には職員室と女子生徒の教室(2)、工作室などが充てられ、 校庭を挟んで左側の校舎に男子生徒の教室(3)と青年学校の教室(1)、 半地下の教室には柔道の道場と模擬銃の保管室がありました。 先に述べましたように、 青島の中等学校には男子の青島中学と青島学院、 女子には青島高女と紘宇女学校があり、 小学校卒業生のほとんどが進学しました。 中国の他の地方と比べて教育環境はかなり恵まれていました。 私が中央国民学校に在学していた昭和19年(1944年)当時、 中等学校に進学しない者、或いはできなかった者は、 高等科1年の男子は2クラス、2年男子は1クラスだけでした。 国民学校高等科とは言え、 市内中等学校対抗の水泳大会やマラソン大会にも参加し、 グライダー練習の科目もあって、 中等学校並みの学校生活を味わったものです。 ↑男子教室跡。1階は半地下になっていて柔道場があった。 中央に運動場へ抜けるアーチ型の入り口があった。 2階が1年男子教室、3階に2年生と青年学校の教室。 □ □ □ □ 青島の中等学校進学がいかに恵まれていたか、 史料の中には、 中国南方に中等学校の新設を要望する建議書も見られます。 内容は、 「年々小学生の児童数が増えてきているのに、 卒業しても進学する中学校がなく、 幼い児童を、 『内地若ハ旅順、青島等ノ地ニ赴カシムルノ已ムヲ得ザルモノアリ』 至急中学校の新設をお願いする」 というものです。 青島は中等学校の設立が早く、寄宿舎の設備もあって、 他地域の総領事や教育関係者、父兄を羨ましがらせていたことがわかります。 昭和18年(1943年)には、青島日本工業学校も開設されました。 □ □ □ □ ↑私が住んでいた鄒平路の坂道。2006年撮影。 この坂道を女の子はとことこ上って来た。 青島中学の入試に落ちて傷心の私は、 それでも次の日は近所の年下の子供と遊んでいました。 私の家の前は坂道になっていて、 坂下は楽陵路、坂上に周村路がありました。 楽陵路の先の博興路のほうから 一人の女の子がすたすたと歩いてくるのが見えました。 当時は男女別学ですから同年代の女の子でも、 名前も顔もよく知りません。 初めて見る顔でしたが、その女の子はぐんぐん近づいて 坂道を上がってきました。 私の前まで来た女の子はつーっと顔を寄せてきて、 「中学、落ちたでしょう」 と小さい声で言ったのです。 「えーっ?」 私は頭に血が昇りました。 (私の中学落第の噂は、 こんなに早く、しかも こんな知らない女の子にまで広がっているのかぁ) ショックで混乱した私は、 「うるせぇー」 と、わざと乱暴な口を利いて小石を探しました。 女の子は頭を抱えて坂上のほうに逃げ出しました。 その後姿は少年の心に何となく艶めかしく感じられ、 拾った小石を力なく投げて、わずかに鬱憤を晴らしました。 それから旬日が経ち、 中央国民学校の新学期が始まりました。 そこには何と、あの女の子もいたのです。 あの女の子は、お互い同じ学校に進む者同士、 親しみをこめて私に声をかけてきたのかもしれません。 後悔しきりの私でしたが、 女の子は、私の投げた小石に傷ついたのか、 私には見向きもしませんでした。
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2010年02月27日
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