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天津の私(3) ↑天津のテレビ塔。 N大学国際商学院の貿易日本語科も優秀な学生が多かった。 彼らは1年生、2年生のときに英語の4級、6級を取得し、 経済関係の単位もほとんど取ってしまう。 3年生から本格的に日本語に取り組むというやり方だった。 だから3年生になると急速に日本語がうまくなる。 N大学外国語学院日本語科の学生のレベルをここで一気に追い抜く。 日本経済関係の授業や日本文学などは私の担当だった。 3年生、4年生の授業はほとんど私の授業だから 私の授業の点数によって学生の成績の順位も決まる。 貿易日本語科19人の順位は3年生になって大きく変動した。 卒業論文提出の季節になった。 テーマは「日本経済」だから専門外のほかの先生方には 点数をつけることは出来ない。 私がひと通り読んで上位4人と下位4人を選んで点数をつけ、 そのほかの中間の学生の点数は一般の先生につけてもらった。 毎年優秀党員として表彰される女子学生の論文は意味不明だった。 「全文書き直しなさい」と突き返したが、 「党の活動が忙しくて書き直す時間がありません。 最低の60点でいいですからこれでお願いします」と言う。 仕方がないから60点をつけてやった。 ↑天津南開大学周恩来像の前で。 こうしてN大学国際商学院の第一期生は卒業していった。 私もN大学で日本経済を教えている限り身分も安定するだろう、 と、思っていたらそれは甘かった。 突然、「貿易日本語科」は廃止になった。 国際商学院貿易日本語科として入学した1年生は、 2年生からは外国語学院の学生になった。 つまり経済学部に入ったつもりが文学部になってしまったのだ。 私も次の職場を探し始めた。 幸い、江蘇省出身の高君が、 「南京の某私立大学が日本人教師を探している」 という情報を持ってきてくれた。 すぐさま高君を連れて南京へ飛んだ。 大学側から学長以下丁重な出迎えを受け、 南京郊外の広大な敷地に建築中の新しい大学を案内してもらった。 中国では大学経営が儲かる時代に入っていた。 私の宿舎になる予定の部屋まで見せてくれたので、 これでほぼ確定だなと私も安心し、 南京市内を見学して天津に戻った。 しかし1週間以内に正式決定を通知するという約束は守られなかった。 南京大学の日本人の先生に探りを入れてもらうと、 その私立大学の外国語部長と南京大学の外国語部長は 同一人物の兼任だということが分かった。 「あの先生は信用できない男だから諦めたほうがいい」 と言われて私の南京行きは泡と消えた。 すでにN大学には辞職を通告しておいたから、 私の行き先はまたもや宙に浮いた。 N大学の学院長もあちこちの大学に電話をかけてくれたが、 時期すでに遅く、来学期の教師はどこの大学も決まっていた。 ↑天津師範大学留学生楼 93年に始めて天津に来たときの振り出しに戻って、 S大学のJ教授を訪ねてみた。 J教授のファミリーはまだ健在だった。 「あ、ちょうどよかった」 という思いがけない返事だった。 その年99年、中国は大学設置基準を大幅に緩和し、 雨後の竹の子のように大学が設立された。 J教授も日本語学部のある大学の設立を計画中だった。 日本人の先生だけがまだ決まっていないのだという。 S大学にもすでに外国語学院があり日本語科もある。 そこに殴り込みをかけるようにS大学K学院が開設された。 私はそこの専属教師として教壇に立つことになった。 「あいうえお」から教えるのは初めてだった。 私の住む部屋は留学生楼1階の二部屋が与えられた。 前の部屋にはニュージーランドの白人夫婦が住んでいた。 J教授は国際交流所の所長を退任し、 おとなしい男性の先生が後釜に座った。 J教授が所長を辞めても後ろで糸を引く体制が出来上がった。 ところがこれはJ教授の誤算だった。 S大学の上層部で異変が起き、おとなしい所長は解任され、 若いやり手の英語の先生が国際交流所の権力を握った。 J教授の権威は見る見る落ちていったが、 J教授の偉いところは日本の茨城キ大学と姉妹校関係を結び、 1年間の交流留学制度を作ったり、 K学院の卒業生をキ大学の3年生に編入できる制度を作ったことだ。 私もJ教授に頼まれて、 ほかにもこのような制度を受け入れてくれる大学がないか探したが、 なかなか見つからなかった。 S大学K学院の学生はN大学と比べるとレベルは低かったが それでも順調に伸びていった。 3年生、4年生になると、あらゆる科目を私が担当した。 日本文学、古典文学、古典文法、日本歴史、日本文学史など、 何でもやった。 K学院の初めての卒業生の中から 茨城キ大学3年生への留学生が生まれ、年々増えていった。 一方、国際交流所のJ教授ファミリーは次々に職を追われ、 新しい所長のファミリーに塗り替えられていく。 S大学の外国人教師の任免権は国際交流所が握っている。 私もJ教授ファミリーの一員に違いなかったから、 私の立場も微妙になってきた。 (つづく)
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2011年01月25日
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