青島満帆

戦争は、勝った側も負けた側もこんな馬鹿馬鹿しいことはない」黄瀛

日本語いい加減講座

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中学生の質問、大学生の質問



イメージ 1

↑現在、よく使われている日本語教科書。



中国の大学で日本語を教える場合、

日本人の先生が文法を教える場面はほとんどあまりありません。

たいてい中国人の先生が中国語で懇切丁寧に教えますから、

日本人の先生が学生から文法の質問を受けることもないわけです。



ニュースによれば、

最近、中国から日本への修学旅行が激増しているとか。

そのせいか、現在、私の日本語教室に中学生が3人います。

そのうちの一人は修学旅行で日本に行ったそうです。

中学生のときから日本に興味を持ってくれるのはうれしいことです。




中学生の質問(その一)。


「先生、『山』という字は、

どんな時に『やま』と読み、

どんな時に『さん』と読むのですか」。


中国人にとって、漢字の読み方が二通りも三通りもある日本語は、

なんという不思議な言葉なんだろうと思うのでしょう。


この質問に答えるには、日本語の成り立ちから説明しなければなりませんから、

私の中国語の語学力では到底無理です。


取り敢えず、


「一般的に個々の山を言う場合は『やま』。

『富士山』のように山の名前で呼ぶ場合は『さん』と読んでください」


こんな程度でお茶を濁すしかありません。



次は大学生の質問。


「先生、『市場』はどんな場合に『いちば』と読み、

どんな場合に『しじょう』と読むのですか」


大学生の上級生になると日本語で説明すればよいのですから楽です。


「昔からある『市場』、つまり目に見える市場は『いちば』。

現代経済学の経済用語としての抽象的な『市場』は『しじょう』。

つまり目に見えない「証券市場」とか「市場調査」などは『しじょう』と読んでください」


と答えることにしています。


ところが中国人の先生によっては、

「しじょう」としか読み方を教えない先生がいるらしく、

道端で会った学生に、

「どこへ行ってきたの?」

と聞くと、


「じゆうしじょうに行ってきました」


と答える学生がいて、一瞬、何のことか分からなかったことがあります。


その当時はまだスーパーはなく、

国営の市場から自由市場に変わったばかりだったのです。


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↑日本語能力試験1級受験者のための授業もやっています。



中学生の質問(その二)。


「先生、

『レストランに入ります』と、

『レストランを出ます』は、

どうして、入るときは『に』を使い、

出るときは『を』を使うのですか」



助詞のない中国語を使っている中国人にとって、

日本語の助詞というのは厄介なものに違いありません。


「到達点を表すときは『に』。

起点を表すときは『を』を使います」


と、文法の本に書いてある通りに教えるしかありません。



大学生の質問(その二)。


「先生、

日本語の『くれる』という動詞の命令形は、

『くれろ』のはずなのに、

どうして『くれ』と言うのですか」


大学では日本人の先生が文法を教えることはほとんどないと言いましたが、

中国人の先生が定年退職やら日本へ長期研修やらで、

誰もいなくなってしまったことがありました。

そのとき「精読」という授業を受け持たされたことがあります。

文法に詳しい学生の質問には冷や汗が出ます。


うーむ!


私は子供の頃、群馬県の田舎で2年ほど暮らしたことがあります。

群馬県では、子供が母親にお小遣いをせびるとき、


「おっかあ、ゼニ(お金)くんろ(くれろ)」


と言います。

駄菓子屋で何か買うときも、


「これ、くれろ(ください)」


と言います。


とっさにそんなことを思い出しました。

そこで答えます。


「『くれる』の命令形は『くれろ』が正しいと思います。

今でも、地方によっては『くれろ』を使っている所があります。

しかし、『やる』の命令形が『やれ』ですから、それに呼応して

『くれる』の命令形が『くれ』に変化していったのでしょう」



あとで国語学の先生に聞いてみたところ、

この答えで正解でした。


群馬の田舎での生活が思わぬところで役に立ったわけです。


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↑色々な教科書が出版されてにぎやかです。
「『めしくた』の意味は?」


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    ↑2007年4月、市内の桜。
     写真は本文記事と関係ありません。



少し前のことですが、

KTさんからメールが来ました。


「先生、『めしくた』の意味は何ですか」


いつもは、日本人の名前の読み方などを聞いてくるのですが、

今日の「めしくた」は難問です。


「どんなときに使いますか?」

「日本人の友達が、会ったときいつも私に聞きます」



『聞きます』ということは

クェッションマークをつけると、

『めしくた?』

になりますから、

これでわかりました。



「『めし食った?』、

つまり『ご飯食べましたか』と聞いているのです」


と、返事を書いて一件落着しましたが、


日本人の男性が、

うら若い女性のKTさんに会うたびに、


「めし食った?」


と、気さくに声をかけるほほえましい情景が目に浮かんできます。

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    ↑2007年4月。街の中に咲く桜。




それにしても、文字というものは、

イントネーションまで表せませんから不便ですね。


「日本語はイントネーションで表現する」


と言ってもよいのではないでしょうか。



例えば、日本語学習者の中級ぐらいのレベルになると、


「そうですか」


という相槌の代わりに、

「そうか」ということばを覚えます。


「そうか」ということばにはいろいろなニュアンスがあって、

イントネーションによっては、

相手を揶揄したり軽蔑したりする意味にもなります。


それを使い分けるのは、大学2、3年生には無理です。


私は、

「そうか」ということばを使ってはいけない、

「10年早い」と、封印することにしています。


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    ↑2007年6月、ゆかた祭り成功。




それから『促音』について考えました。


日本語の会話では動詞に促音を多く使いますから、

「めし食った」を文字で書くときに、

「めしくた」と書かれると、

日本人としてはまず「名詞」ではないかと疑ってしまいます。



中国人の日本語学習者にとって、

この『促音』というのが厄介なようです。

日本語の発音練習で最初に躓くのが『促音』です。



そうかと思うと反対に、


「似ている」を、「にっている」

「寝ている」を、「ねっている」

「来ている」を、「きっている」


と書く人が、中級者に多いのに気がつきます。



中国語の言葉は、

ナー(それ)、とか、

ニー(あなた)、とか、

ヌーリー(努力)、とか、

日本語の長音のような発音が多いせいか、

『な、に、ぬ、ね、の』のように、

短く発音する言葉と、

『促音』の区別がつきにくいのかもしれません。

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    ↑2007年7月、小魚山を案内する。




日本語の『促音』について調べてみると、

その歴史は案外古く、

平安時代にはもう使われていた、

と言いますから、

東国武士集団が生まれたころに遡るようです。


武士という「戦う集団」としては、

おっとりした「京ことば」では物足りなくて、

勇ましくて野生的な『促音』が生まれたのでしょう。

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    ↑同、旧第一小学校運動場を案内する。




『促音』についての研究は専門家に任せるとして、

日本語の発音の中で、

『促音』というものが大きな位置を占めている、

と言えるのではないでしょうか。



自国語にはない『促音』を身につけることは、

中国人学習者にとって難しいことかもしれませんが、

逆に言えば、

『促音』を聞き分け、上手に発音することが、

日本語上達の『決め手』とも言えます。



最近の「日本語教育法」の通説として、

「発音はあまり厳しく指導しないほうがよい」

と、よく言われます。


「初級者に発音を厳しくすると自信をなくすから」

というのがその理由らしいのですが、

私は反対です。


中級段階になってから発音を矯正するのは無理です。

正しい発音は正しい聞き分け(聴力)にもつながります。



『促音』が難しいと言っても、

日本人の口真似をして10回ほども練習すれば、

コツが呑み込めますから、早いうちに身につけることです。

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    ↑2007年7月、第一海水浴場の遊歩道



若い日本人男性が、


「めし食った?」


と、気さくに声をかけてきたら、

それは親愛の情を示す信号かも知れませんね。

日本語辞書の選び方

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※写真は、青島のドイツ建築(李青氏撮影)。写真は本文記事と関係ありません。


「日本語辞書の選び方」




先日、Rさんが、

「先生、この辞書買ったんですけど・・・」

と言って、

かばんの中から日本語の辞書を取り出しました。


「この辞書は日本で評判がいいと言われて買いましたけど・・・」

「うーん」



その辞書は、

『ことばの解釈がユニークだ』

ということで評判になった辞書です。


中国でも出版されています。(海賊版か?)




「まあ、日本人にとってはいい辞書かもしれませんが・・・」



『言葉の解釈がユニーク』だからと言って、

外国人の日本語学習者にとっても、

いい辞書だ、

とは限りません。



外国人学習者にとっては、

単語の意味を、いかにわかり易く解説しているかが問題です。



日本で評判がいいからと、

中国人学習者にやたら薦めるのは困ったものです。




Rさんは続けて、

「単語の意味はわかりますが、

その使い方がわかりません」

と、不満げです。



日本語には、

似たような単語がたくさんあって、

それを日本人は、

『時と場合によって』

いろいろ使い分けているのです。




ですから、

使い方の例文がたくさん載っている辞書が、

『外国人学習者にとって使いやすい辞書』

ということになります。



日本には、

『国語例解辞典』

が、いくつか出版されています。



中学、高校生向きに、解説も易しく書かれていますから、

手元に置いておけば、

日本語学習に役に立ちます。


初級から上級までお薦めできます。




私が好きな辞書がもうひとつあります。

「小学館」から出版されている国語辞典です。


外来語が豊富で、

文法の解説も詳しく書かれています。



中級以上の方にお勧めです。



この辞書が何よりもいいのは、

横組版も出版されていることです。




今やパソコンの時代。

ほとんどの文書が横書きだというのに、

何故、辞書だけは縦書きなのか腑に落ちません。




横組版があるということは、

それだけでも欲しくなります。



これからの日本語辞書は、

『国際化時代にふさわしい日本語辞書』

です。


外国人に日本語を教えたことのある国語学者が中心になって、

ぜひ、外国人にも使いやすい辞書を作って欲しいと願っています。



※冒頭の写真は、1905年建築のドイツ医薬品商店跡。


 下の写真は、1901年建築。ドイツ膠州郵政局跡。

イメージ 2




 

最後の写真は、1903年建築の私人宅です。
 
 どんな人が住んでいたのでしょうか。

イメージ 3

「ので」と「から」

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※写真は本文と関係ありません。
 徳華高等学堂跡(旧ドイツ1907年〜1912年建築。貴州路)



『ので』と『から』の使い分け



私が使っている日本語中級教科書の練習問題に、



(寮の管理人さんに頼む)

「シャワーのお湯が出ないので、調べて欲しいんですが」

「エアコンが壊れているので、修理して欲しいんですが」


という例文があります。



生徒から早速、質問が出ました。


「この例文の『ので』は、

全部、『から』を使うほうが正しいんじゃないですか」



中国の大学や学校では、

『ので』と『から』の使い分けを詳しく教えているということがわかりました。



簡単に言うと、

『から』は主観的判断、

『ので』は客観的判断。

ということだそうです。




私の意見はこうです。


「今の日本人は、

『ので』と『から』を、あまり厳しく使い分けはしていません。

『ので』のほうが語感が柔らかいせいか、

『ので』を使うほうが多くなっています。


ですから、あまり使い分けを気にする必要はありません」




森田良行著「基礎日本語辞典」には、

『から』と『ので』の使い分けを詳しく述べています。



いろいろ分析していますが、


『から』を『ので』に置き換えられない例として、


「すぐ来るでしょうから、しばらくお待ちになってはいかがです」

「私もすぐ行くから、あっちで待っていてください」


という例文を挙げ、


<条件または結果の句に、

このような、まだ確定していない事柄や、話し手の推量や、

意志、願望、依頼など、主観的判断による叙述が来る場合は、

『から』を用いなければならない。>


と書いてあります。




残念ながらこの本の初版は平成元年とありますから、

おそらく、20年ぐらい前に書かれたものでしょう。


この20年の間に日本語はずいぶん変化しました。

この使い分けの基準は、現在の日本語には当てはまらなくなりました。



この例文を『ので』に置き換えてみます。


「すぐ来ると思いますので、しばらくお待ちになってはいかがです」

「私もすぐ行きますので、あちらで待っていてください」



このように、推量、願望、依頼のような場合でも、

今は、『ので』に置き換えても全然おかしくありません。




「田中稔子の日本語文法」によりますと、



<江戸時代に上方では

『さかい、さかいによって、によって、ので』

を使い、江戸では

『から』

を使っていました。


明治以降、東京でも『ので』が盛んに使われるようになり、

『ので』も『から』も併用されるようになりました。>



つまり、

『ので』は関西、

『から』は江戸の言葉だったのです。



そして、


「疲れたので眠ってしまった。」


という例文は、『ので』を使っても『から』を使ってもよいのですが、


<『ので』を使ったほうが伝統ある京都の言葉なので、

丁寧な印象を与えます。>



<『ので』と『から』を強いて区別しようとすれば、


『ので』の方が自然の成り行きを示し、

『から』の方が原因・理由を強く押し出す意が強いと言えましょう。>


と書いてあります。



自然な例文として、


「もう遅いから寝なさい。」 (『ので』は×)

「そんなことをしたから、君が悪いのだ。」 (『ので』は×)


などを挙げています。




いずれにしても、現在の日本人は、

『ので』が客観的判断で、『から』が主観的な判断などと、

意識して使い分けをしていません。



中国の日本語の先生方も、

この点を理解されて、

『ので』と『から』の使い分けの基準を、

詳しく教える必要はなくなった、と考えてよいでしょう。

敬語のない世界

イメージ 1

イメージ 2

※写真は、1905年ドイツ建築私宅跡。その後日本人の若月病院跡。


中国で暮らしてみて、いちばん快適なのは、

「敬語」を使わなくてもいいということです。


人と会うとき、

いちいち言葉遣いを気にしなくてすむ、

ということはとても気が楽です。



先日青島に遊びに来た日本人女性が、

「中国人は初対面同士すぐ打ち解けることができるのね」

と驚いていました。


これも、

「敬語」という「言葉の壁がない」、

ということが大きな原因でしょう。



最近、日本国内で凄惨な事件が多発しているのも、

狭い国土で、

日本人同士「言葉の壁」に息が詰まっているからに違いありません。


閉塞感に打ちひしがれている日本人の姿が目に浮かんできます。



私の日本語教室では「敬語」は不要です。

自由に会話することを重視しています。



生徒も、

「ほかの日本人と話すときはとても緊張しますが、

先生(私のこと)と話すときは気楽に話すことができます。

最近、みんなから日本語が上手になったね、と言われます」

と、上達の早さを実感しています。



言葉遣いを気にしながら話をしていては、

日本語の会話は上手になりません。


「先生ごめん、今日残業で授業にいけません」

電話もメールも、友達同士のような気楽な会話で連絡し合っています。




3年ばかり前、私は足の骨折で日本の病院に三ヶ月ほど入院しました。


そのとき、日本に留学していた私の教え子が見舞いに来てくれました。


病室は6人部屋で、隣のベッドとくっついていますから、

私たち二人の会話は筒抜けです。


私たちは一時間ばかり小声で話し、留学生は帰っていきました。



隣のベッドには、糖尿病の患者と見舞いの奥さんがいました。


このご夫婦は、感に堪えないという風に私に言いました。


「若いのに、ずいぶん丁寧な言葉遣いをする人ですねえ」

「いやあ、そうですか? 彼女は中国人の留学生ですよ」


見舞いに来た留学生は特別な敬語を使って話していたわけではありません。


大学で習ったとおりの、「です」「ます」調でしゃべっていただけです。



つまり日本語は、「尊敬語」を殊更に使わなくても、

「丁寧語」だけで十分敬意を表すことができるということです。


日本語には特別な「尊敬語」など必要ないのです。



55年前の昭和27年(1952年)、

第一回国語審議会が開かれ、

「これからの敬語」

が、建議されました。


その「基本の方針」には、

1、これまでの敬語は、旧時代に発達したままで、必要以上に煩雑な点があった。

これからの敬語はその行きすぎをいましめ、誤用を正し、

できるだけ平明・簡素にありたいものである。

2、これまでの敬語は、主として上下関係に立って発達してきたが、

これからの敬語は、

各人の基本的人格を尊重する相互尊敬の上に立たなければならない。



と書かれてあります。


その後の「敬語」の状況はどうなっているでしょうか。


「敬語」の「偉い先生」が現れて、やたら敬語を複雑にしています。



以前にも書きましたが、

「目上の人に『ご苦労様でした』と言ってはいけない」

なども、そのひどい例です。


敬語を複雑にすればするほど、「敬語の本」が売れて、

「敬語の先生」は儲かるのです。



「敬語の先生」の殺し文句は、

「敬語は文化だ」

というひと言です。


「文化」という言葉に弱い日本人は、

このひと言で、たちまちひれ伏してしまいます。


「敬語」は文化などではありません。


もともと日本人は、職業や階層、地方ごとに、

それぞれ異なる言葉遣いをしていました。


明治になると華族制度が作られて、

上流社会が形成され、

ことばを差別化しました。



今の「敬語」といわれるものは、

それらの言葉を寄せ集めて、

無理やり統一したものに過ぎません。


だから、

居る、行く、来る、

が、すべて、

「いらっしゃる」

という一つの単語になり、原始的言語に逆戻りしてしまいました。


「おられる」、「行かれる」、「来られる」


という、多くの地方で使われていた豊かな表現が消えていきます。



繰り返しますが、

「敬語」は「文化」などではありません。



今こそ、国語審議会は初心に帰って

「敬語」の簡素化を提唱し、

日本語を国際語として、

世界中の人が使いやすい言語に近づけるべきです。

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