青島満帆

戦争は、勝った側も負けた側もこんな馬鹿馬鹿しいことはない」黄瀛

あの時、あの頃

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同郷の日本軍兵士

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「同郷の日本軍兵士」



確か敗戦の前の年だったと思う。


青島の我が家に、

群馬の実家の隣に住んでいた「丸岡二等兵」が、

突然やってきた。


「丸岡二等兵」は徴兵検査を終えたばかりの新兵で、

旧満州の関東軍に配属されていたはずであった。



当時の日本軍部は「日ソ不可侵条約」を信じて、

ソ連軍の南進を甘く見ていた。


一方、南方戦線は敗色濃厚で風雲急を告げていた。

そのため関東軍の一部を南方へ移動させて戦局の挽回を図ろうとした。



「丸岡二等兵」の部隊にも移動の命令が下り、

南方戦線目指して行軍の途中、青島を通過したというわけだ。



短い外出時間を利用して、我が家に立ち寄った「丸岡二等兵」は、

長い行軍の疲れを見せることなく、

真っ黒に日焼けした顔をほころばせて、

別れを告げた。



それから間もなく、

「丸岡二等兵」戦死の報を聞いた。



「丸岡二等兵」を乗せた輸送船は、

アメリカ潜水艦の標的になり、

南方戦線に到着することなく撃沈されたということだった。


群馬の田舎には年老いた父親が一人残された。




もう一人、同郷の兵士に「神田上等兵」がいた。

「神田上等兵」は、北支派遣軍の青島駐屯部隊に所属していた。

青島駐屯部隊は、戦争らしい戦争もなく平穏な日々であった。



「神田上等兵」は時々戦友を連れて我が家にやってきた。


父が酒の相手をし、

外出時間のひとときを語り合った。



異国で同郷の人に会えるということは、

彼ら兵士にとって、何よりの慰めであったに違いない。



その後私は北京の学校に入学したため、

敗戦直後の青島の様子は知らない。



私たち一家が日本に引き揚げてから1年ぐらい経ってからだろうか。


「神田上等兵」が父のところに挨拶にやってきた。



私は傍らで、「神田上等兵」の敗戦後の様子を聞いた。



日本敗戦後、日本軍は中国国民党軍の支配下に置かれた。


すでに国民党軍と共産党軍の内戦が始まっていた。



日本軍は降伏したにもかかわらず、

兵士の武装解除は行われなかった。


青島市内の治安維持という名目があったのだろう。




そんな日本軍に対して国民党軍は、

しばしば共産党軍の「討伐」を命じた。



共産党軍は労山の山岳地帯を根拠に戦線を展開していた。



国民党軍の身勝手な命令を受けて、

「神田上等兵」の小隊は、鉄砲担いで労山方面に向かった。


もとより一戦を交える気など毛頭ない。

戦争はもう終わっているのだ。



「神田上等兵」たちは、

誰もいそうもない山林を狙って弾丸を撃ち込み、


「八路軍(共産軍)をやっつけてきました」


と報告するのであった。



こうして一年以上も共産軍と戦って(?)、

やっと帰国が許されたというわけだ。



※写真は、青島市内を我が物顔に歩く当時の日本人たち。

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