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光畑京子の「終戦日記」(二) 【4月4日 晴れ 水曜日】 今日からいよいよ2年生の授業が始まるというので、 吉木さんが2年の本を貸してくださった。 その本を持って学校に行くと、 途中で1年生に会うときちんと止まって礼をしてくれるので、 何だか恥ずかしいような嬉しいような気もした。 校門の所まで来ると前にいた1年生の人が、 くるっと後ろを見て礼をしたので、 自分も1年生の時こんなかと思ったら何だかおかしくなった。 昼休みの時、松原さんに会った。 【4月5日 晴れ 木曜日】 昨日から授業がなくて、軍服作業が行われることになった。 そして先生が一日に4枚仕上げなさいと、 1時間目に言われたので心配でたまらなかった。 がやってみると、それ程でもなかったので 明日から5着ぐらい仕上げよう。 ↑青島高女授業風景:昭和19年卒業アルバムより 【4月6日 金曜日】 1日の日、妹と二人で作った畠に 夕方買いに行った小松菜と桃色トマトを蒔きました。 自分で苦心して作った畠だけあって、 蒔いた後に水をかけたりした後の気持ちよさは、 何とも言えませんでした。 【4月7日 土曜日】 一人6枚の一束を持って学校でした残りを 家でするということになった。 一生懸命したら一時間で一枚仕上げられたので、 家に持って帰ったのは2枚だったので 家に帰ってからすぐに仕上げてしまった。 夕方、朝鮮銀行の裏の保険会社までお父さんの使いに行った。 途中で羽根さんと大浜さんに会う。
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光畑京子の「終戦日記」
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光畑京子の「終戦日記」(一) <西村唯雄氏の「海外体験記」に続きまして、 光畑(旧姓小寺)京子さんの「終戦日記」を 交互に連載いたします。 光畑さんは青島日本第3小学校卒業後、 青島日本高等女学校に入学。 同校2年生のときに終戦を迎えました。 昭和20年(1945年)4月から11月までの、 いわば敗戦前後約7ヶ月間の貴重な記録です。 旧仮名遣いで書かれていますが、 新仮名遣いに直しました。> 【昭和20年(1945年)4月1日(日曜日) 晴れ 風強し】 今朝早く起きて庭の隅に小さい畠を作りました。 4月とはいえ水をいじったりすると、まだ冷たく感じます。 内地だったら今頃はきっと山は桜の色と黄緑に彩られて とても美しい眺めであるのに、 青島にはまだ桜の花は咲いていない。 2、3日前にお母さんと妹と3人で青島神社に参拝に行って、 兄さんの武運長久をお祈りして 帰りに桜の花を見たときは蕾が少し膨らんでいたが、 今日行ってみると前よりも大分膨らんでいた。 又、明後日に行くことだろうからとてもそれが楽しみでならない。 明日から待ちに待った2年生。 何だか恥ずかしいやら、へんな気がする。 ↑青島高女講堂、昭和19年卒業アルバムより 【4月2日 月曜日】 今より一年前に、お母さんに連れられて学校に入学して一年になる。 又、今度入って来る1年生も きっと私達が考えていた程に小さい胸を躍らせて、 午後の入学式をすませたに違いないと思う。 私は1年と同様に4組でしかも香本先生です。 お友達は中尾さん、星野さんと一緒の組です。 午後からお母さんと二人で仲の町に使いに行き、 帰りに今度入学した一年生の人に行き会ったら、 丁寧に礼をしてくれるのでとても恥ずかしかった。 今日からいよいよ嬉しい2年生。 教室も変わった。御友達も変わった。 そして一年生が入って来た。 一年生に笑われぬような やさしい親切で朗らかな2年生になりましょう。
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