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第19回 旅順総攻撃 (前編)

1904(明治37)年、日露戦争開戦。日銀副総裁の高橋是清(西田敏行)は日露戦争の戦費調達に奔走するが、世界はロシア有利と見ていたため日本に融資する相手を探すのは困難だった。
満州軍総司令官の大山巌(米倉斉加年)と総参謀長・児玉源太郎(高橋英樹)らが、東郷平八郎(渡哲也)率いる連合艦隊の旗艦「三笠」に集結。陸海軍首脳による協同作戦会議が開かれる。海軍は、旅順港を陸から攻撃してロシア艦隊を追い出してほしいと陸軍に要請。真之(本木雅弘)は、旅順西北の二〇三高地を占領してそこに観測点を置き、ロシア艦隊を砲撃すべきと主張する。しかし陸軍は旅順要塞攻略を重視し、乃木希典(柄本明)が指揮する第三軍が総攻撃にあたる。
7月下旬、陸軍の動きに反応したロシア艦隊が旅順港から姿を現した。連合艦隊はかねての作戦計画に従い攻撃を開始するが、ロシア艦隊は再び旅順港に逃げ戻り、黄海海戦は失敗に終わる。
8月19日、第一回旅順総攻撃が始まり、要塞の正面突破を敢行するが、旅順要塞はベトンで固められた近代要塞になっていた。日本軍は要塞の鉄壁に傷一つ負わせることもできず、6日間で1万6000人の死傷者を出す壮絶な敗北を喫する。その報に接した真之は、第三軍は作戦目的をわかっていないと激し、直談判に赴くと息巻いて参謀長の島村(舘ひろし)に冷静になれと諭される。

第20回 旅順総攻撃 (後編)

遼陽での会戦が迫るなか、好古(阿部寛)の騎兵団は敵情捜索を行い、クロパトキン(セルゲイ・パールシン)率いるロシア陸軍が大軍を集結させていると報告する。ロシア軍の兵力23万に対して日本軍は14万。砲弾が足りない日本軍は遼陽西部戦線で多数の死傷者を出し崩壊寸前となる。しかし東部戦線の決死の攻撃や好古の提案が功を奏し、クロパトキンは突如全軍を退却させる。
一方、第三軍は坑道と塹壕(ざんごう)を掘り進めて旅順要塞に近づくという正攻法で二度目の旅順総攻撃を行うが、4900人の死者を出し再び失敗に終わる。
10月、バルチック艦隊がついに出港した。

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