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午後3時20分過ぎ。東京へ向かうため、福岡市内の斎場に安置されていた北の湖理事長の遺体は布団にくるまれ、部屋付きの山響親方(元幕内・巌雄)ら関係者10人に抱えられて出てきた。霊きゅう車に運び入れる際にはバランスを崩す場面もあり、関係者が「重い。まだまだ元気じゃないか」と泣き叫んだ。一夜明けても悲しみは広がった。
同50分頃には福岡国際センターの正面玄関に横付けされた。出迎えた協会幹部やファンが優勝24回の大横綱との別れを惜しんだ。「理事長、ありがとう!」などの声が飛んだ。理事長代行に就任が決まった八角事業部長(元横綱・北勝海)によれば、おかみさんであるとみ子夫人の「相撲場を見せてあげたい」との思いで会場に立ち寄ったという。また、12月22日午後1時から両国国技館で協会葬を開くことを決めた。葬儀は近親者による密葬で営まれる。
協会トップが本場所中に急逝するのは前例がないが、土俵の充実を目指した故人の意向に沿い、場所は通常通りに開催する方針だ。この日は協会員が喪章を着けて業務。玄関前には半旗も掲げられた。ただ幕内優勝力士のパレードや満員御礼の垂れ幕などは自粛せず、黙とうも予定していない。
玉ノ井広報部副部長(元大関・栃東)は「理事長は土俵の充実を掲げ、仕事重視の考えだった。遺志をくんで決めた」と説明。北の湖理事長は父・勇三さんと師匠の三保ケ関親方(元大関・初代増位山)が1日違いで死去して葬儀が重なっても、迷うことなく師匠の葬儀に参列。自分への特別な計らいを嫌い、何よりも相撲優先で生きた理事長の思いを継いでいく構えだ。
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