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◆ソチ冬季パラリンピック第2日(8日・ソチ) 7日に開幕し、第2日の8日に競技が始まった。アルペンスキー男子滑降座位で前回銅メダルの狩野亮(マルハン)が金メダル、鈴木猛史(駿河台大職)が銅メダルに輝いた。狩野は前回のスーパー大回転を制しており、冬季大会では日本勢初の2大会連続優勝を果たした。選手団主将の森井大輝(富士通セミコンダクター)は途中棄権した。
バイアスロン男子7・5キロ座位では、久保恒造(日立ソリューションズ)が3位に入り、今大会の日本選手メダル第1号になった。開会式で旗手を務めた太田渉子(日立ソリューションズ)はバイアスロン女子6キロ立位で6位、出来島桃子(新発田市役所)は8位に入賞した。
五輪スタジアムで7日に行われた開会式では森井らが笑顔で行進した。
狩野亮「本当にうれしい。今回の方が4年前より思いが強かった。狙っていた。前半を抑え、後半で巻き返すのは予定した通り。昔に比べ、経験値が上がったと思う」
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巨人時代の1995年に右肘じん帯を断裂し、ジョーブ博士の手術を受けて復活したスポーツ報知評論家の桑田真澄氏(45)が、思い出を語った。
ドジャースが、球団の医療部門に長く携わってきたフランク・ジョーブ博士が6日朝、カリフォルニア州サンタモニカで死去したと発表した。88歳だった。
ジョーブ博士は1974年、左肘側副じん帯を痛めていた左腕のトミー・ジョンに対し、当時不可能と言われた腱(けん)の移植手術に成功。手術前に124勝だった同投手は、以降46歳までプレーし164勝を挙げた。この実績から、プロアマ問わず多くの選手が、この手術を受けるようになった。今では90%以上の成功率を誇る同手術は「トミー・ジョン手術」と呼ばれ、肘の治療法として球界に定着した。
ブレーブスなどで活躍したJ・スモルツを始め、昨年プレーした大リーグ投手の3分の1に当たる124人が受けたという。その中にはRソックスの田沢純一、メッツとマイナー契約している松坂大輔ら(他にカブスとマイナー契約の和田毅)も含まれる。また、日本で活躍した投手では、ロッテ時代の村田兆治や巨人時代の桑田真澄、吉村禎章、ヤクルト時代の荒木大輔らがいる。
死去を受け、ジョン氏は「野球界は偉大な人物を失った。多くの投手が彼の成し遂げた功績に感謝しているはずだ」と哀悼の意を示し、セリグ・コミッショナーも「野球界の医療に改革をもたらした偉大な紳士。深い悲しみに包まれている」と悼んだ。
ジョーブ博士は野球界だけでなく、アメリカンフットボール、バスケットボール、アイスホッケーなど他のスポーツ選手も快く受け入れるなど、米国のスポーツ医療界のパイオニアだった。野球界の歴史を変えた一人だった。
巨人・村田真一打撃コーチ「(85年の)レギュラーでない時に右肩を手術してもらい、選手生活を続けることができた。日本で食事をしたこともありますが、とにかく優しい方。残念な気持ちと同時に、感謝の気持ちでいっぱいです」
村田兆治氏(82年に右肘を痛め翌年4月、ジョーブ博士の手術を受けた。85年に17勝を挙げカムバック賞を受賞)「当時は肘にメスを入れるのはタブーだった。日本では再起不能と言われて、私自身、生きるか死ぬかの時に出会った。ジョーブ博士は不可能を可能にしてくれた。生きる力を取り戻させてくれた恩人。後輩に手術を怖がらなくていいというメッセージを残してくれた。心からご冥福をお祈りします」
荒木大輔氏(88年に右ひじ痛を発症、じん帯再建手術を受ける)「24歳の時に最初の手術を受けた。ジョーブ博士に会っていなかったら、私の野球人生は24歳で終わっていた。恩人です。先生のおかげで手術が前向きに捉えられるようになった。選手寿命が延びているのは、先生のおかげだと思う」
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「涙の太陽」のヒットなどで知られる歌手の安西マリア(60)が2月25日に心筋梗塞で倒れ、都内の病院に入院していることが6日、分かった。
関係者によると、安西は胸の苦しみを訴えて倒れ、すぐに都内の病院に救急搬送された。一時は集中治療室(ICU)にも入っていたが、現在も意識が混濁した状態で、予断を許さない状況という。昨年1月にテレビのバラエティー番組で過去に8年間うつ病と闘っていたことを告白したが、倒れる直前までライブに出演するなど元気に生活していたという。
73年に「涙の太陽」でデビューすると同曲が大ヒットして、同年の日本レコード大賞新人賞を受賞。歌手活動と並行し、女優としてもドラマや映画で活躍したほか、日本テレビ系「11PM」のオープニング映像のカバーガールとして水着姿で均整のとれたスタイルを披露し、週刊誌のグラビアなどで男性の支持も獲得した。
一方、私生活ではトラブルが絶えず、75年に美容院で誤って熱湯を浴び、芸能活動を一時休業するほど広範囲の大やけどを負った。78年にはマネジャーと一時失踪し、所属事務所社長(当時)から暴行や脅迫を受けていたことが明らかに。刑事事件にも発展し、芸能界から一時引退した。
83年には芸能プロダクション社長の男性と結婚しハワイに拠点を移すが86年に離婚。帰国後は認知症を患う実母の介護疲れなどでうつ病を患ったことを告白していた。
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東日本大震災から2か月後に宮城県南三陸町で開局した災害ラジオ局「FMみなさん」と町民の姿を描いたドキュメンタリー映画「ガレキとラジオ」が、実際はリスナーではない仮設住宅に暮らす70代女性を、放送を聴いて励まされている被災者として撮影する過剰な演出をしていたことが5日、分かった。ノーギャラでナレーションを担当した俳優の役所広司(58)はこの日、ブログを更新し、「今後二度と上映されるべきものではありません」と怒りをあらわにした。
震災後の南三陸町で、住民が開局させたラジオ局が10か月にわたってラジオを放送し続け、町民を勇気づける姿を追った“過剰演出”が発覚した。
同作を企画・制作した大手広告会社「博報堂」によると、仮設住宅周辺に同局の電波は届いておらず、女性はラジオも持っていなかった。
撮影スタッフは女性が「夜は音もなく寂しくて、寝付けない」と話したため、女性に同局の放送を録音したCDとラジカセを渡し、後日、女性が普段からラジオを聴いて励まされているように見える場面や「いつも聴いている」と話す場面を撮影した。
同作の趣旨に賛同してノーギャラでナレーションを引き受けた役所はこの日の朝、所属事務所のスタッフから連絡を受け、激怒。「愕然としました。今後二度と上映されるべきものではありません」とブログに記した。
「真実の部分は多々あると思いますが、この『ヤラセ』の部分の演出を知っていて作品を完成させた制作側に、大きな責任がある」とドキュメンタリーにあってはならない“ヤラセ”という言葉を使って、製作陣を痛烈に批判した。
「この作品に参加した人間として、作り手側の志が高かったことは信じています。だからこそ、この作品の身の引き方として不足、欠点のないよう締めくくって頂きたいと心から思っています」と結んだ。
役所は昨年4月に試写会に出席した際には「この作品のナレーションで参加できて、ありがたく思っています」と話していた。
映画は昨年4月に公開。その後は市民団体によるホール上映が行われ、6日以降は41回予定されている。製作会社「ワンダーラボラトリー」はこの日、「主催者に中止のお願いをしていく予定です」と話した。 |

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今年2月に喉頭がんの診断を受けたというつんく♂。早期発見であり、既に治療に入っているという。今後はしばらくタレント活動は休業する。
昨年10月から声全体がハスキーになり、声が出しにくい状態になったという。今年2月に全身麻酔手術をし、細胞の検査をしたところ、喉頭声帯にがんが見つかった。
この日のファックスで、つんく♂は「正直、自分としても『まさか自分が』と驚いたのは事実ですが『病は気から』と申します。これも人生における何かのヒントだと思い、ポジティブに進んでいくと決心したところです。治療後には、また歌を皆さまに届けられる日を楽しみにしております」と心情を綴っている。
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