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◆第87回センバツ高校野球大会 ▽決勝 敦賀気比3―1東海大四(1日・甲子園)
持ってる男のミラクルアーチが、北陸に初の大旗を運んだ。準決勝で史上初の2打席連続満塁弾を放った敦賀気比(福井)の松本哲幣(てっぺい)右翼手(3年)が、8回に決勝2ラン。東海大四(北海道)を破り、北陸勢を春夏通じて初の優勝に導いた。準決勝と決勝での連弾は、第1回大会の高松商・村川克己以来91年ぶり。この時は愛知・山本球場で開催されたため、春の甲子園球場では初の快挙となる。
背番号17は「これから先、これ以上いいことないだろう」と、連日の大仕事を振り返った。同点の8回1死二塁。大きな手拍子が起こるなか、松本は1ボールから真ん中に入ってきたスライダーを振り抜いた。打球は左翼ポールを巻くようにスタンドへ。
「一塁を踏む前に(スタンドインを)確信しました。完璧。昨日のも含めて一番よかった」。一塁ベースを回ると右手を突き上げ、勢いを増したスタンドの大歓声に応えた。
準決勝の大阪桐蔭戦でセンバツ史上初の満弾連発。ド派手な活躍を見せた男が再び、歴史に名を刻んだ。準決勝と決勝の連弾も、春の甲子園では初の快挙となる。余韻に浸りながら、ゆっくりダイヤモンドを1周。ベンチ前で東哲平監督(34)とガッチリ握手を交わした。笑顔で迎えた平沼とハイタッチを交わした。
中学卒業時には、投手として10校以上から誘いを受けた。東監督も平沼との「2枚看板」と期待し英才教育を施した。だが、1年秋の練習試合で先発し1回8失点。自信を失った松本は、指揮官に「平沼がいるから投手を辞めたい。外野で勝負させてください」と直訴した。一度は慰留されたが、翌春からは打者として生きる道を選んだ。
チームでは昨夏から平沼ばかりに注目が集まった。打撃陣は「あいつばかりに負担をかけさせてはダメ」と一致団結。冬の間は、東監督も「1日1000回は振ってたと思う。こいつら、よく振るわ」と、目を見張る練習をこなしてきた。
松本も、午前9時から午後5時まで室内練習場で素振りを敢行。最も大事な準決勝、決勝の舞台で元ライバルを助ける劇弾につなげ、「粘っていた平沼にプレゼントできてうれしい」と喜んだ。
1大会3発も、PL学園の清原和博や星稜・松井秀喜と並ぶ大会最多記録。背番号17を強烈に印象づけた春は、笑顔のうちに終わった。史上8校目となる春夏連覇が懸かる夏へ―。「ツイてた17番で夏も? いや、なんでもいいですから1ケタがほしいです」。夢は大きく、背番号は小さくなって帰ってくる。
◆個人大会最多本塁打 今大会3本塁打は13年の浦和学院・高田涼太以来10人目のタイ記録。
◆準決勝&決勝の2試合連続本塁打 2試合以上連続弾は、今大会の常総学院・荒原祐貴以来、26人目(3試合連続2人を含む)だが、準決勝&決勝で記録するのは第1回大会の1924年の高松商・村川克己以来、91年ぶり2人目。当時は愛知・八事山本球場での開催だったため、甲子園球場では初(夏は11年の日大三・高山俊まで5人が記録)。また、準決勝&決勝の3本塁打は大会初(夏は85年にPL学園・清原和博が4本塁打)。
◆個人大会2ケタ打点 今大会10打点は、13年の浦和学院・山根佑太(10打点)以来。個人大会最多打点記録は不明だが、主な2ケタ打点は、39年の東邦商・長尾芳夫の12打点、00年東海大相模・今森省吾、11年東海大相模・佐藤大貢の13打点などがある。
◆福井勢40号 春夏通算40本塁打目。敦賀気比はチーム通算16本塁打とし、福井商に並んで県勢最多に。13年春、14年夏、15年春の直近3大会で計15本と量産している。
◆松本哲幣あらかると
▽生まれとサイズ 1997年10月31日、京都府生まれ。17歳。178センチ、75キロ。右投右打。
▽球歴 小1から「御所南クラブ」で野球を始める。中学では「京都嵐山ボーイズ」に所属し投手兼外野手。2年秋の北信越大会から背番号17でベンチ入り。
▽マネーの哲 当初は哲平になるはずだったが、画数の関係などで哲幣に。父・正弘さん(52)によると、「紙幣の幣がついているからなのか、お金を使うのが好き。寮にお菓子を買って帰って、ほかの部員に振る舞っているそうです」。
▽好物 焼き肉。サーモンのすし。
▽リトル本田 5歳から野球と並行してサッカーにも熱中。2年で当時の所属チームが廃部になったため、野球に専念したが、現在も本田圭佑(ACミラン)を尊敬している。
▽好きなアイドル アイドルグループ「フェアリーズ」の伊藤萌々香。
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維新の党の上西小百合衆院議員(31)が衆院本会議を欠席した問題で同党は4日夜、大阪市内で党紀委員会を開き上西氏の除籍(除名)を決定した。最高顧問で傘下の政治団体「大阪維新の会」の代表の橋下徹大阪市長(45)はこの日、党の決定に先立ち、大阪市内で行った街頭演説で大阪維新からの除名を発表。今月1日に問題が発覚してからわずか3日で同党は決着を図った。上西氏は、議員辞職する意向はない。
上西氏は結局、除名された。深夜に開いた党紀委員会後に維新の党の松野頼久幹事長は処分理由について、3月13日の本会議欠席に関する手続き上の問題はなかったとした上で、前日にショーパブなどを利用したことなどが報じられたと指摘。「党の品位を汚した行為が党規に抵触する」と述べた。江田憲司代表ら執行役員会メンバーにも報告し衆院会派からも除名するとしており、近く届け出る。
結果は予想されたものだった。この日、橋下氏は大阪市内7か所で街頭演説を実施。大阪の選挙区から選出された維新の党の衆院・参院議員が全員所属する「大阪維新の会」からの上西氏の除名を街頭で発表するという異例の手段に出た。党の最高顧問が公の場で発した言葉の意味は重く、松野氏も「大阪維新の会の除名というのも大きな理由だ」と述べた。
関係者によると大阪維新の会の除名は幹部が連絡を取り合う持ち回り方式で協議。橋下氏が上西氏と大阪市内で会談し議員を辞職を求めたが「法を犯さない限り、議員の身分は奪われない」「それだったら除名で構いません」などと反発し拒否。その態度に橋下氏は激怒し、除名を宣告した。
報道各社に本会議前日に体調を崩した際の医師の診断書などとともに除名の理由を書面で発表した。中で以前から上西氏の言動に問題があったと指摘。大阪維新の会府議団預かりとして指導を受けていたが、改善の見込みは全くなく「一連の行動と言動を総合的に判断した」と説明した。街頭演説では上西氏との絶縁を宣言。「完全に永田町の感覚。あの議員とは二度と付き合いません。二度と公認しない」と言い放った。一方で「国会議員にさせてしまった。僕の責任だ」と謝罪した。上西氏は今後は、他の政党に属さない限り無所属となるが、過去2度の選挙とも大阪7区(吹田、摂津市)で敗れ、比例で復活当選。現在の選挙区で戦うのは非常に厳しい。
今月1日に、疑惑が浮上してからわずか3日の「スピード決着」。大阪維新は3日に告示された大阪府議選と大阪市議選を5月17日に投開票される大阪都構想の賛否を問う住民投票の前哨戦と位置づけて総力戦を展開。関係者によると上西氏の問題で市内の本部には抗議電話が殺到しており、影響拡大を避けるため厳しい姿勢を示した。
◆この日の街頭演説での橋下氏の主な発言◆
▼大阪市淀川区(午前10時開始)「あんな国会議員の記者会見に付き合って(深夜)1時ですよ! 帰ってきたの夜中2時ですよ!」「(都構想の説明を前に)上西小百合とごちゃ混ぜにされると非常につらいところではあるんですが…」
▼同福島区(午後1時30分開始)「普通の国会議員だったら、問題があったとしてもなかなか辞めないのが習わしかも分かりませんが、普通の政党と同じことをやっていたら意味ない。大阪維新の会は厳しくやっていく」
▼同都島区(午後2時50分開始)「彼女と久々に話をしましたが、いや〜変わるもんだなと。2年国会議員やるとこうなってしまうのか、と」「彼女は政治家としての修業が足りなかった。ただ僕の責任ですよ。29歳の女の子をきちんと国会議員に育て上げることができなかった」
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昨年5月にNHKの報道番組「クローズアップ現代」で放送された「出家詐欺」に関しやらせがあったと指摘されている問題で、詐欺に関わるブローカーの事務所として登場する部屋で会社を経営する40代男性が3日、大阪市内の同所で会見。「ここがそういう場所(ブローカー事務所)でないことは間違いない」と話し、やらせ演出を指摘した。
男性によると、事務所は昨年4月の番組収録時はほとんど使っておらず、合鍵を「多重債務者」として出演した知人男性に預けていたという。
やらせ疑惑が週刊文春の報道で浮上し、男性は知人に抗議。知人は謝罪したという。また、男性は「(知人は)多重債務者には見えなかった」と話した。NHK記者とも複数回、飲食したという。
疑惑浮上後、NHKの職員から電話で「ご迷惑をおかけしました」と連絡があったことも明かした。一方、NHK東京放送局広報はこの日、「男性とは直接お会いして話はした。これ以上お話しできることはない」とした。
この問題については、1日に大阪府内の男性(50)が会見で「放送されたようなブローカーをしたことはない」と語り、NHKに訂正報道を求める申し入れ書を提出したと明かした。
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喉頭がんの治療のため療養中の「シャ乱Q」のボーカルで、「モーニング娘。」などを手掛ける音楽プロデューサーのつんく♂(46)が4日、プロデュースを手がけた母校・近畿大学(東大阪市)の入学式に出席し、昨年10月に声帯を全摘出し、声を失ったことを公表した。昨年1月22日のCM発表会以来、437日ぶり、がん公表後は初めて公に姿を見せたつんく♂は、テロップで約7000人の新入生に向け祝辞を発表。エールを送るとともに、人生のリスタートを誓った。
式の終盤、首をすっぽりと覆うストールを身に着けたつんく♂が、サプライズで壇上に登場。顔色も良く、以前よりもややふっくらとした面立ち。予期せぬ大物の登場に大騒ぎの新入生に笑顔で手を振りながら、しっかりとした足取りでステージ中央に立った。しかし、祝辞は肉声でなく大型スクリーンに文字で表示された。
「なぜ、今、私は声にして祝辞を読みあげることが出来ないのか…。それは、私が声帯を摘出したからです」と衝撃の“告白”。大先輩の登場に沸いていた会場は、水を打ったように静まり返った。「結果的にがんが治りきらず、摘出するよりほかならなかったから一番大事にしてきた声を捨て、生きる道を選びました。また振り出しです」と説明。壇上では時折笑顔を見せながら会場を見渡し、シンガーとして苦渋の決断だったことを明かした。
つんく♂は壇上で何度も「おめでとう」と口元を動かして“祝福の言葉”を贈った。エンディングでは、ギターを演奏し、新入生、在学生らが校歌を斉唱。つんく♂も口を大きく開けた。近大広報によると、今回の演出プランは2〜3週間前に、「喉の調子が悪いので」と、提案されたという。式が始まるまで、メッセージの内容は限られた関係者しか知らされていなかった。ある大学関係者は「内容が内容なので我々も驚いた」と話した。
つんく♂は式典終了後にブログを更新。「昨年秋の癌治療の際、念の為という事も含めて、患部を治療するのに声帯全てを摘出することとなりましたので、話す事が出来ません」と書き込んだ。「シングルベッド」「ズルい女」など数々のヒット曲を世に送り出した「シャ乱Q」は13年に本格再始動したものの、昨年2月、つんく♂に喉頭がんが発覚。芸能活動を休止し治療に専念したため、昨年の近大入学式は出席出来なかった。
9月25日に「完全寛解」を発表し、10月5日には「モーニング娘。’14」のニューヨーク公演に同行し元気な姿を見せていたが、その直後にがんが再発見された。10月中旬に声帯の全摘出手術を受けた。10月末の退院後は、体調と相談しながら仕事を再開。最近ではキックボクシングを始めたことも明らかにした。現在も治療は続けているようだ。
所属事務所の関係者によると、つんく♂は療養中に「頭や他のところはすこぶる元気。作詞とか作曲活動などの創作活動は、いくらでもやっていく」と話していたという。意思疎通は「筆談のときもあれば、メールやツイッターを使うときもある」と説明した。
◆つんく♂ 本名・寺田光男。1968年10月29日、大阪・東大阪市生まれ。46歳。近大商経学部在学中の88年、シャッターズ、乱、QPから選ばれたメンバーで「シャ乱Q」を結成しボーカルを担当。卒業後の92年「18ケ月」でメジャーデビュー。98年からはモーニング娘。らのプロデューサーとしても活躍。01年にはプロデューサーとしての活動名を「つんく♂」に改名。家族は06年に結婚した元モデルの加奈子さん、6歳の双子の男・女児と4歳女児。血液型B。
◆喉頭がん 声門上がん、声門がん、声門下がんの3つに分けられ、全体の60〜65%が声帯のある場所(声門)にできる声門がん。つんく♂が昨年告白したのもこのタイプ。声がかすれるなどの初期症状が出るため、早期発見がしやすい。声帯を残すため放射線治療が中心となることが多い。国立がん研究センターがん対策情報センターのサイトによると、治癒率は約80%弱だが、治療後の1〜2年のうちに再発することが多い。性別による発症率は男性が9割。患者の9割以上が喫煙者。
◆声を出すしくみ のど仏の裏側にあたり、肺につながる気道の入り口にある膜が声帯で、左右で対になっている。呼吸をする時は膜は開いているが、発声する時は両側から閉じてすきまから空気を通過させて、振動させることで音(声)を出す。声帯切除などで発声機能を失った場合の発声方法としては、げっぷの要領で食道の粘膜を震わせたり、あごの下に電気式人工咽頭をあてる方法や、気管と食道をチューブでつなぎ、のどにあけた気管孔をふさいで食道に入る空気を増やす「シャント法」がある。
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