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プロ野球の西武や巨人で活躍した清原和博氏(47)が22日、妻でモデルの清原亜希(45)と離婚したことを発表した。
清原氏はマスコミ各社に直筆署名入りファクスを送付。「離婚はしても子供たちの父親であることに変わりはなく、私は、父親として、野球人として、今出来ることに全力を尽くして行く所存です。まだ小学生の子供たちのためにも、皆様方におかれましては、本件についてそっと見守って頂きますよう、お願い申し上げます」とコメントした。
清原氏と亜希のそれぞれの所属事務所によると、離婚が成立した日付は非公表。長男(12)と次男(9)の親権は亜希が持つ。慰謝料や養育費などは明かさないという。
2人は2000年12月に挙式。02年8月に長男、05年5月に次男が誕生した。今年3月、「週刊文春」が清原氏の薬物使用疑惑を報道。清原氏サイドが名誉を毀損(きそん)されたとして、損害賠償および謝罪広告の掲載等を求める訴訟の準備をしていると発表する騒動があった。また、今月16日発売の「女性自身」は、亜希と子供2人が清原氏と別居して新生活を送っていると報じていた。
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スポーツ
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◆アジア大会第2日 ▽柔道 女子52キロ級決勝 ○中村美里(1分40秒 小外刈り)ババムラトワ●(20日・仁川)
柔道女子52キロ級の中村美里(25)=三井住友海上=が2連覇を達成し、今大会の日本の金メダル第1号となった。同48キロ級の山岸絵美(三井住友海上)と男子66キロ級の高上智史(旭化成)が銀、同60キロ級の志々目徹(了徳寺学園職)は銅メダルだった。日本勢最初の表彰台は、銅メダルに輝いた武術の男子長拳の市来崎大祐(27)=東京都連盟=だった。
表彰台の中央で、中村は少しだけ笑みをこぼした。遠慮がちな美里スマイル。「ちょっとずつ、笑顔が出せるようになってきました」。充実感の表れだった。不戦勝の1回戦の後、オール一本勝ちで優勝した25歳。10年広州大会に続く連覇だが、「けがを乗り越えてつかんだ金メダル。重さが違う」しみじみと話した。
直前に女子48キロ級の山岸、男子66キロ級の高上が決勝で連敗。重苦しい空気にも「自分の勝負に集中した」。決勝の1分40秒、小外刈りでババムラトワをあおむけにした。日本選手団に金メダル第1号の吉報が届いた瞬間でもあった。
08年北京五輪で19歳にして銅メダルを獲得。天才少女と騒がれたが、金を逃した悔しさで笑顔を見せず、話題となった。満を持して優勝候補として臨んだ12年ロンドン五輪は、まさかの初戦敗退。同年12月に左膝を手術した。「あのときはリオなんて全然考えられなかった」
13年11月の講道館杯で復活優勝を遂げたが、1か月後に再手術。苦しいリハビリの中、他競技の選手との出会いがあった。サッカーやアルペンスキー、ソフトボール、多くの友達ができ、試合の観戦にも出かけた。自費で海外遠征しているアルペン選手の状況を知り、「柔道がどれだけ恵まれた環境なのか分かった。もっと頑張らなくちゃと思うようになった」
プライベートでは寮の庭で野菜を栽培したり、パンや肉まんを作ったり、日曜大工まで始めたりした。「売っているトマトは食べられない」と父・一夫さん(52)に話すほど熱中。苦しんだ2年間の日々は「だからこそ今がある」と振り返られる。視野が広がり、生活も変わった。人としての幅も広がり、完全復活を遂げた。
「ここで結果を出して次につながった。リオに向けて一つ一つ、やっていきたい」。今は27歳で迎える3度目の五輪が、はっきりと見えている。
◆中村 美里(なかむら・みさと)1989年4月28日、東京・八王子市生まれ。25歳。8歳で柔道を始め、相原中―渋谷教育渋谷高を経て、2008年に三井住友海上。52キロ級で08年北京五輪銅メダル、12年ロンドン五輪は2回戦敗退。世界選手権優勝3回。得意技は小外刈り。血液型AB。家族は両親と兄。157センチ、52キロ。
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楽天・星野仙一監督(67)が18日、成績不振などを理由に今季限りで辞任することを発表した。ロッテ戦(コボスタ)の試合前に会見を開き、明らかにした。昨季は球団を創設9年目で初の日本一に導いたが、今季はBクラスに低迷。昨オフに複数年契約を結び、球団側は続投を既定路線に考えていたが、今月に入って三木谷浩史オーナーに辞意を伝え、この日に了承された。今後も球団には残り、フロントとしてチーム再建に取り組む。
まだ志半ばだ。それでも星野監督は、ユニホームを脱ぐことを決めた。「直接の原因は成績。しかも、私が2か月間も戦場から離れた。ファン、選手、球団に大変迷惑をかけたのが一番」。5月下旬、腰の手術のために離脱した。今では体調面での不安はなくなったが、ケジメをつける意味でも低迷の責任を取った。
昨オフに複数年契約を結び、球団側も続投が既定路線だった。だが今月に入り、三木谷オーナーに直接、辞意を伝えた。会見に同席した同オーナーは「まあ『ウソだろう』と。来季以降も―と考えていた」と語った。この日まで慰留を続けてきたが、辞意は固く、断念した。「強豪の巨人を破っての日本一。感謝の気持ちしかない。闘争心、戦う姿勢を注入してもらった」と功績をたたえた。
星野監督は「勝負師として、一年一年が勝負。昨年と比較すれば天と地。休んだことを含め、この数字というのが許せない」。それまではすがすがしかった表情を引き締め、語気を強めて言った。
7月下旬に復帰したときから、退任が頭にあったという。「(入院中)『早く帰ってきて』というような、うれしい声を聞いた中で、早く戻らなきゃいけないと思った。復帰してからも『こんなことじゃいけないな』と。そのへんで私はひそかに今季限りで、ということで決意しました」。昨季と比べ、田中将大(ヤンキース)が抜け、補強も失敗。戦力は低下し、低迷は続いた。だが最後まで、言い訳はしなかった。
今後については三木谷オーナーが「高いところから球団に関わっていただく」と説明した。指揮官は試合前のミーティングで、選手たちに辞任を伝えた際に「いつまでもうるさいじいさんでいるぞ! 覚悟しとけよ」と伝えたという。03年に阪神の監督を退いた後、オーナー付シニアディレクターに就任したときと同様、ユニホームは脱ぐが、チーム編成や球界の諸問題などに取り組むことになる。
楽天では4年間、指揮を執った。現役、監督を含めた野球人生で、初めて日本一を味わった。会見開始から1時間後に始まった試合では、ナインが昨季のような勝負強さを見せ、最下位を脱出。「最初からやってくれよ」と冗談交じりに話したが「先行されて、よく追いつき、ひっくり返したね」と奮闘に目を細めた。
残り16試合。「(やり残したこと?)いっぱいある。(選手は)自分自身が何をするべきか、何を考えるべきか、もっともっと浸透させたいと思っていましたけど、それは次の人が味付けをしてくれると期待している」と闘将。野球への情熱は、今後も失われることはない。
◆星野 仙一(ほしの・せんいち)1947年1月22日、岡山・倉敷市生まれ。67歳。倉敷商から明大を経て68年ドラフト1位で中日入団。エースとして活躍し、74年には沢村賞を受賞。82年現役を引退するまで通算500試合に登板、146勝121敗34セーブ。87年から中日監督。02年から阪神、11年からは楽天の監督を歴任し、リーグ優勝4度。13年には楽天を自身にとっても初となる日本一に導いた。03、13年と正力賞を2度受賞。08年北京五輪では日本代表監督。180センチ、83キロ。右投右打。
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◆テニス4大大会最終戦 全米オープン第13日(6日、ニューヨーク・ナショナル・テニスセンター)
男子シングルス準決勝で第10シードの錦織圭(24)=日清食品=が第1シードのノバク・ジョコビッチ(27)=セルビア=を6―4、1―6、7―6、6―3で破り、4大大会シングルスで男女を通じて日本勢初の決勝進出を決めた。日本選手が4大大会シングルスの第1シードに勝ったのも初めて。
8日(日本時間9日早朝)の決勝の相手は、準決勝のもう1試合で世界ランク3位のロジャー・フェデラー(33)=スイス=を下した世界16位のマリン・チリッチ(25)=クロアチア=に決まった。対戦成績は錦織が5勝2敗とチリッチをリードする。
世界ランク11位の錦織は、強烈なストロークで世界1位のジョコビッチを揺さぶった。第3セットのタイブレークを7―4で競り勝って勢いに乗り、第4セットは第1ゲームをブレークし、そのまま押し切った。ジョコビッチは5年連続の決勝進出を逃した。
錦織は4回戦で世界6位のミロシュ・ラオニッチ(23)=カナダ=、準々決勝で4位のスタニスラス・ワウリンカ(29)=スイス=をいずれも4時間を超える大熱戦で連破し、日本選手として1918年の熊谷一弥以来96年ぶりの4強入りを果たして勢いに乗っていた。
錦織は大会後発表のランキングで8位以内に上昇し、5月にマークした自己最高の9位を更新することが確定した。
錦織圭「うれしい。世界1位の選手に勝てて、内容も良かった。後半はしっかり振り切れていた。最高のプレーだった。初めての決勝なので、気持ちをしっかり持って揺るがずにやりたい」
ノバク・ジョコビッチ「失望している。自分のストロークができなかった。(錦織は)よく準備ができていた。本当に素晴らしいプレーだった。おめでとうと言いたい。ここまでの努力を祝福したいし、彼の方がきょうは上手だった」
マイケル・チャン・コーチ「本当にうれしい。素晴らしいプレーだった。(錦織は)粘っていたし、本当にタフだった。(決勝へは)1日休みがあるので、よく状態を見ないといけない。リラックスする1日にして、月曜日に向けて、できるだけ回復に努めたい」 |
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◆中日6―0阪神(5日・ナゴヤドーム)
49歳25日の中日・山本昌投手が5日の阪神戦(ナゴヤD)で今季初登板し、プロ野球史上最年長勝利を達成した。今季初先発で5回、90球を投げて5安打無失点。1950年に阪急・浜崎真二が48歳4か月でマークした記録を64年ぶりに更新だ。来年50歳を迎える球界のレジェンドは試合出場、先発、奪三振、打席(いずれも浜崎=48歳10か月)の最年長記録をそれぞれ更新するなど、偉大な記録を打ち立てた。
勝利の瞬間をベンチで見届けると、山本昌はほっとした表情でナインを出迎えた。5回5安打無失点。「チャンスは1回。壊れてもいいくらいの気持ち。捨て身で力を振り絞りました」。49歳のウイニングボールを谷繁捕手兼任監督から受け取ると、ようやくほおを緩めた。昨年8月28日、ヤクルト戦(神宮)以来の白星だ。
1軍マウンドは昨年10月5日のDeNA戦(ナゴヤD)以来。緩いカーブを見せ球に「回転数は球界でもトップ」と自他ともに認める直球を投げ込んだ。初回1死三塁のピンチも鳥谷、ゴメスをいずれも134キロの内角直球で打ち取った。5回無死一塁では、代名詞のスクリューボールで上本を遊ゴロ併殺打。31年間培った技術を存分に見せた。
昨年の契約更改では、落合GMから減額制限の25%を超える33%減の年俸4000万円を提示された。「(大幅減俸は)50歳で投げるための措置だ」と“2年契約”を保証されたが、近い関係者には常に「GMとの約束に甘えることはない。8月までに結果が出なかったら辞める」と自ら身を引く考えを示していた。
最年長勝利に向けて昨オフ、元ヤンキースのマリアノ・リベラを参考にカットボールをマスター。新たな武器を引っさげて、4月24日のウエスタン・リーグ阪神戦(甲子園)で6回0封と好投した。だが、リリース時の手首の形が違うためにフォームを崩し、「キャッチボールですらいい球が投げられなくなる」と悩み、新球を断念。一時は2軍でも登板機会に恵まれなかったが、若手がオフの日でも単身でナゴヤ球場を訪れ走り込んだ。手を抜くことはなかった。
1983年ドラフト5位で入団。「今の自分があるのもこの人のおかげ」と担当スカウトで06年に68歳で死去した高木時夫氏への感謝を忘れなかった。この日も神社に参拝後、名古屋市内の高木氏の墓前に手を合わせた。全盛期同様、先発前の“儀式”をひと通り行ってから戦場へ向かった。
そんな姿にチームは11安打6得点。救援陣も無失点でつなぎ、大記録を援護した。勝利、出場、奪三振、打席と数々のプロ野球最年長記録を一気に更新し、6歳下の谷繁兼任監督も「プロ野球80年で1人だけですよ。(年齢的に)2、3日後の方が体に張りがくるのが心配ですが」と、冗談交じりにたたえた。
手荒な祝福を受けたベテランも「そこまで(衰えは)きてないよ。(張りは)あした(6日)だよ」と突っ込んでから「64年ぶりですか。もうひとごとですよ」としみじみ。次は自然体で49歳2勝目を狙う。(田中 昌宏)
◆山本 昌(やまもと・まさ=本名は山本昌広)1965年8月11日、神奈川県生まれ。49歳。日大藤沢高から1983年ドラフト5位で中日入り。93、94、97年に最多勝、93年に最優秀防御率、97年に最多奪三振のタイトルを獲得。94年に沢村賞。2006年に史上最年長ノーヒットノーラン、08年に通算200勝を達成。通算577試合で219勝164敗5セーブ、防御率3.44。186センチ、87キロ。左投左打。年俸4000万円。 |



