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お悔やみ

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 巨人・原辰徳監督(55)の実父で、福岡・三池工、神奈川・東海大相模高の監督として夏の甲子園を2度、制覇した原貢(はら・みつぐ)氏=東海大野球部顧問=が、5月29日午後10時40分、心不全のため神奈川県相模原市内の病院で死去していたことが同31日、分かった。79歳だった。貢氏は心筋梗塞と大動脈解離を併発して同4日に倒れ、緊急入院していた。指導者として原監督に多大な影響を与えた貢氏。巨人はこの日、オリックスを延長12回の熱戦の末、1―0で破り、白星を届けた。
 原監督の父親であり、アマ野球指導者として多くの選手を育てた名伯楽が逝った。この日、京セラDのオリックス戦終了後、貢氏が先月29日に死去したことを巨人軍が発表した。
 貢氏は先月4日夕方、神奈川県相模原市内の自宅で背中に痛みを訴えて倒れ、同市内の病院に入院。心筋梗塞と大動脈解離を併発、集中治療室(ICU)に入った。5日には名古屋で中日戦を戦っていた原監督がチームを離れ、病院を訪れていた。その後、貢氏の容体が落ち着いたため、原監督は見舞いを続けながら、巨人の指揮を執ることに専念。一時は原監督の問いかけに反応し、自分の力で心臓を動かすまでに回復したが、ついに力尽きた。
 貢氏は社会人の東洋高圧大牟田(現三井化学)で内野手としてプレーし、その後、福岡・三池工の監督に就任した。1965年夏、同校を率いて甲子園で優勝。これは工業高校としては初の甲子園制覇だったが、当時、不況にあえいでいた炭鉱の町・三池の人々に大きな影響を与えた。少年時代の原監督が、沸き返る人々の中心にいた父の姿に「野球ってすごいんだ」と感動、野球を志すきっかけの一つになった―というエピソードは有名だ。
 その後、三池工での戦いぶり、貢氏の野球にかける情熱に感銘を受けた東海大創設者・松前重義氏の誘いを受けて、65年秋、神奈川・東海大相模の監督に転じた。ここでも70年夏の甲子園で優勝。69年夏、70年春、72、74年夏、75年春、夏、76年夏と8度の甲子園出場を果たした。
 当時、貢氏は、それまでの「投球を前で叩く」というバッティングから、引きつけて打つ打撃法を導入。70年の優勝は一度もスクイズを使わずに頂点に立つなど、高校球界に革命をもたらした。
 下級生を登用する思い切った用兵でも有名だった。東海大相模での甲子園初出場となった69年夏は先発に2年生8人を起用。また、74年夏は息子・辰徳選手をはじめ、津末英明(巨人軍編成調査室)、村中秀人(東海大甲府監督)ら5人の1年生がベンチ入り。同等の力なら失敗を恐れず下級生を起用し、経験を積ませることを図る―この信念は、ファームから昇格させた選手をすぐにスタメン起用するなど、原監督にも脈々と引き継がれた。
 息子の東海大進学と同時に貢氏も大学に転じ、ここでも77年の全日本大学野球選手権準Vと数々のタイトルを獲得した。“父子鷹”として注目されたが、原監督との親子の絆が周囲の誤解、偏見を招く危険性もあったために、同じ力ならば息子以外の選手を使おうと心掛けていた、という。この頃、あまりに自分ばかりが殴られるため、原監督は母・勝代さんに「野球をやめたい」と漏らすほどだった。ただ、3年夏が終わったときに「お前もつらかっただろうが、俺もつらかったんだ」と打ち明けた貢氏の姿に、原監督のわだかまりはなくなったという。
 孫の菅野が巨人入団後は、東京Dにもたびたび足を運んで観戦。今年も2月の沖縄キャンプを激励に訪れ、開幕カードとなった阪神3連戦(東京D)にも姿を見せていた。強い情熱、妥協を許さない指導で多くの人材を育てた貢氏。ひたすら野球にささげた生涯だった。
 通夜、告別式は近親者のみで執り行い、7月14日午前11時から東京ドームホテルで「お別れの会」を行う。故人宅への弔問、供花、弔電などはすべて辞退する意向という。
 ◆原 貢(はら・みつぐ)1935年3月30日、佐賀県神埼郡生まれ。鳥栖工―東洋高圧大牟田で三塁手、遊撃手として活躍。福岡・三池工の監督として65年夏の甲子園で優勝。66年から東海大相模の監督に。辰徳選手の東海大進学と同時に東海大監督に転じ、その後、再度、東海大相模高、東海大の監督を歴任。96年にユニホームを脱いでからも、東海大系列校野球部総監督、東海大野球部顧問として後進の指導に当たっていた。甲子園出場9度で通算成績は17勝7敗(優勝2回)、首都大学リーグでは22シーズン、262試合で指揮を執り、192勝68敗2分け(優勝13回)。
 日本相撲協会の前理事長で元大関・魁傑の西森輝門(にしもり・てるゆき)氏が18日午後に急死したことが、相撲協会関係者の話で分かった。66歳だった。山口県出身。
 関係者によると、東京近郊でゴルフの練習中に気分が悪くなって救急車で運ばれ、都内の病院で午後3時すぎに死亡が確認された。
 西森氏は花籠部屋の力士として活躍し、幕内優勝は2度。1975年春場所で大関に昇進し、一度は転落しながら返り咲いた。引退後は年寄「放駒」を襲名。10年8月に相撲協会理事長に就任し、11年2月に発覚した八百長問題では事態の収拾に尽力した。昨年2月に定年退職した。
 北の湖・日本相撲協会理事長「努力の人だった。大関に2回上がったのは頭が下がる。優勝決定戦で負けた思い出もある。元気だと思っていただけに残念だ」
 芝田山親方(元横綱大乃国)「言葉がない。体調が悪いとかも聞いていなかった。気持ち的にも整理がつかない。偉大な師匠でした。ただ、今はそういうコメントよりも何も…。原因は何もわからない。ゴルフ(の練習)に行っていたのだから、俺より健康だったと思う」
「失楽園」など男女の濃密な性愛を描いた恋愛小説や、医療を題材にした作品で知られる直木賞作家の渡辺淳一(わたなべ・じゅんいち)さんが4月30日午後11時42分、前立腺がんのため、東京都内の自宅で死去した。80歳。北海道出身。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は妻敏子(としこ)さん。
 札幌医大在学中から同人誌で小説を発表。卒業後、札幌医大の講師をしていたが、和田寿郎教授による心臓移植事件を批判したことがきっかけで辞職した。専業作家を目指して上京し、事件を題材にした「小説心臓移植」(後に「白い宴」)を発表して話題となった。
 医師の経験を生かした医療小説を多く手掛け、1970年に「光と影」で直木賞。80年には野口英世の人生を描いた「遠き落日」と「長崎ロシア遊女館」で吉川英治文学賞を受賞した。
 80年代からは愛と性を正面から描いた「化粧」「ひとひらの雪」「化身」などの恋愛小説を立て続けに刊行。中年男女の不倫をテーマにした「失楽園」は大胆な性描写で話題となり、250万部を超す大ベストセラーに。「失楽園」は流行語大賞に選ばれた。
 「遠き落日」のほか、松井須磨子をモデルにした「女優」など、明治・大正期の偉人を題材にした伝記作品も多い。恋愛や生き方を指南するエッセーも人気で、「鈍感力」は当時の小泉純一郎首相が発言で取り上げたこともあって流行語になった。
 「失楽園」「愛の流刑地」など映画化された作品は多数。海外での翻訳出版も多く、中国では村上春樹さんとともに絶大な人気を誇った。
 2003年に紫綬褒章と菊池寛賞。直木賞や吉川英治文学賞などの選考委員を務めた。
 他の小説に「花埋み」「阿寒に果つ」「雲の階段」「別れぬ理由」「エ・アロール それがどうしたの」「愛ふたたび」など。札幌市に渡辺淳一文学館がある。
 3月14日に慢性呼吸不全のため死去した俳優の宇津井健さん(享年82歳)のお別れの会が1日、都内のホテルで行われた。俳優の三浦友和(62)、水谷豊(61)ら約1000人が出席。長山藍子(72)、中田喜子(60)ら、TBS系ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」で宇津井さんの娘を演じた“岡倉姉妹”も宇津井さんとの最後の別れを惜しんだ。
 実生活では一人息子(喪主を務めた長男の宇津井隆さん)の父だった宇津井さんが、最愛の“娘”たちに見送られ、天国へ旅立った。
 岡倉家の5姉妹(次女・五月役の泉ピン子は欠席)を演じた長山(長女・弥生)、中田(三女・文子)、野村真美(49=四女・葉子)、藤田朋子(48=五女・長子)は4人並んで席に座り、献花では全員が出席者に白いバラを手渡す役を務めた。
 藤岡琢也さんから岡倉大吉役のバトンを受け継いだ06年頃に撮影した宇津井さんの遺影の前で、しきりに涙をぬぐった。白いバラは宇津井さんのお気に入りの花だった。
 会が終わった後の会見では宇津井さんとの思い出を語った。長山は「魂が美しい方でした」。藤田は、宇津井さんにとっては最後の出演となった昨年のスペシャルでは宇津井さんが酸素ボンベをチェロのケースに入れて隠しながら収録していたことを明かし「『何泣いてるんだよ』って頭をたたいてくれる人がいなくなってさみしい」と声を詰まらせた。
 また、仕事のためこの日は欠席したピン子からは会場に手紙が届けられた。昨年のスペシャルの収録現場で、バナナと牛乳のジュースを作ったところ、宇津井さんは「おいしい!」と5杯も飲んだエピソードを紹介。さらに亡くなる当日に名古屋の有名なクラブなどを経営する80歳の女性と再婚したことについて「私がよく『再婚は絶対しないで。ジジイのところに来る再婚相手は金目当てだ』と言っていましたよね。でも、再婚相手の方は、お父さんに十分尽くし、私が危惧した財産目当ての人ではないとお聞きしました」とつづった。
 TBS関係者によると、「渡鬼」の新作は今秋放送に向けて制作予定。岡倉大吉役で別の俳優を起用する可能性は低いという。
「炎の料理人」と呼ばれ、フジテレビ「料理の鉄人」などに出演して人気を博した中華の料理人、周富徳(しゅう・とみとく)さんが8日、誤嚥(ごえん)性肺炎のため横浜市内の病院で死去した。71歳。横浜市出身。葬儀は近親者で執り行った。喪主は長男志鴻(しこう)さん。

両親は中国・広東省出身。横浜の中華街で料理人の父親の仕事を見て育ち、18歳で料理の道に。都内の中華料理店やホテルで修業後、東京・赤坂の「璃宮」の総料理長。1993年「広東名菜 富徳」青山店のオーナーとして独立した。

 軽妙な話術と手際のいい調理法からNHK「きょうの料理」などの講師を担当。ほかにも、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」フジテレビ「たほいや」などテレビ番組に多数、出演。94年にはNHK紅白歌合戦にもゲスト出演した。

 94年、半生記「炎の料理人 周富徳」が漫画化され、95年には堂本光一(35)主演でドラマ化もされた。

 著書に「周富徳の広東料理は野菜がうまい」「すぐできるおいしい中華の家庭料理」など。弟の周富輝さんも中華の料理人として活動している。

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